【追追記あり】今昔物語集の終わりの方

今昔物語集の終わりの方で,『巻第三十一 竹取の翁,女児を見付けて養へる語 第三十三』という話があります.いつもは仏教的解釈が話の最後の方で強引に為されていることが多いのですが,ここでは「惣べて不心得ぬ事也となむ,世の人思ける.」と,仏教的思考では理解不能であることを表しています.竹取物語と言えば高畑勲監督の遺作の『かぐや姫の物語』で狂った描写が為されていましたが,今昔物語集の編纂された平安末期でも既に理解不能であるとされていたのですね.面白いです.

 

今昔物語集の最後は,『巻第三十一 近江の国の栗太の郡の大柞の語 第三十七』になっています.国を跨って影をつくるのは誇張でしょうが,柞はナラ・クヌギの類らしいです.樹種は違うかも知れませんが,古墳には近縁のアラカシが生えていることがよくあり,親しみやすい木だったのでしょう.巨木の話としては違う木ですがクスノキ製と思われる伊豆の快速船「枯野」の話もあり,傷んだ後は薪として利用して塩を作り,余りは琴にして良い音を響かせたそうです.木で締め括られるのも良いですね.

 

【追記】松尾芭蕉の辞世の句に「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」というのがありますが,この枯野は枯野の船もかけているのでしょうか.だとしたら面白いですね,荼毘に付しているみたいで.

 

【追追記】実は,枯野伝説にはいろいろな話の要素が混じっていろいろなバージョンがあるらしいです.

 

https://core.ac.uk/download/pdf/229911665.pdf

 

語るべき人が語れば枯野だけでこれだけ語れるということですね.面白いです.