シン・ウルトラマンの続き

『シン・ウルトラマン』,一部でセクハラだとの酷評もあるようです.ただ,長澤まさみさんが気合を入れる為に自分で自分のお尻を叩いていることをもってセクハラだとするのは,私個人的には直ぐにはちょっと結びつきません.他人が叩いているのなら話は分かりますが,自分で勝手に叩いていることをもって性的だとするのは,よく分かりません.そういうコーディングの変な動画でもあるのでしょうか.巨大化した時のローアングルが問題だというのも,何かが見えたような記憶はないので,いささか踏み込み過ぎではないでしょうか.お色気アクションはどちらかと言うと軽い物もカットされる傾向があったという話ですし,恋愛映画には思えないようになっていました.実際,恋愛映画だと感じたお客さんは少なかったようです.長澤まさみさんは,今までに出演された舞台の配役でみても一風変わったものを献身的にこなされていますし,大河ドラマでも「霧隠の才蔵」や「ナレーター」など,ちょっと変な配役ばかりです.そういうのも含めて何か問題なのでしょうか.

 

後,オリジナルに比べて新機軸が1つもないとかいう意見がありますが,ネタバレを控えて言うと,まずラストには円谷プロなら絶対に出さない明白な新機軸が1つはあったでしょう.メフィラスのエピソードなどにもそういうものはありましたし,新機軸がないというのはその意味を理解しかねます.オリジナルと似た部分も明白に違う部分もあるという,ただそれだけのことだと思いますが.

 

また,レヴィ=ストロースの本が出て来ただけで,それが何も引き起こさなかったという意見がありますが,メフィラスと斎藤工ウルトラマンの会話は,メフィラスの持つ世界観,ウルトラマンの持つ世界観と,彼らの持つルールの共通点と相違点に関して,レヴィ=ストロースの思想かそれの類似物抜きには正確な意味を理解することは出来ないでしょう.ラストのエピソードにもそれは関わって来ます.勿論,正確に理解しなくても話は進んで十分に楽しめる内容だったとは思いますが,レヴィ=ストロースの思想が物語のテーマ自体に深く関わることは,物語中で言葉では明示されていないだけで,実体としては明らかだと思います.まれびとがどうこうとか,そう言う局所的な話ではなくもっと大域的なテーマになっている筈です.また,人類の正しい進化を促すと言うのはどちらかと言うとメフィラスの世界観で,ウルトラマンの世界観は地球人の自由意志に委ねるという描写があった筈です.そこを逆に記憶されているような意見もありました.そして,その自由意志に委ねても...と言う展開で話が進んで行きます.自由意志までの話は正にオリジナルのエピソードそのもので,さらにそのオリジナルの世界観を超えた表現もその後あった筈です.メフィラスのエピソードがラストのエピソードをくうほど解像度が高く描写されているように思える理由は何かという問題は別にありますが,酷評する程酷い映画だとは,少なくとも私は思いませんでした.さらにぶっちゃけ言うと,リブートという行為そのものが記号論構造主義の一環の訳ですし,レヴィ=ストロースそのものですね.