続・Natureの「進化」の論文

先日,「「単細胞生物である酵母を多細胞体に進化させた」と称する論文がNatureに出ているが,これは誤りである」というブログ記事を投稿しました.

 

https://shunadachi.hatenablog.com/entry/2023/05/18/203804

 

このことについてまだ何か不満を持っている方もおられるようですが, “flocculation” という現象が凝集する酵母の遺伝的近縁性を保証できないものだという,誰もそんな定義をしていないのに著者らが勝手に思い込んだ状況を元に,酵母の群体が遺伝的に(ほぼ)同一なのでこれは “flocculation” ではないという主張をしている時点で,例の論文は “flocculation” に関して何も言っていないことになります.報告されている現象は全てflocculationで説明出来るので,「単細胞生物から多細胞生物が進化した」訳ではないというのが普通の見解であることを主張しました.

 

この論文には他にも奇妙なことがたくさんあります.例えば,3千世代でこのような生物が「進化」したとしていますが,地史的な証拠からは最古の生物の化石は38-35億年ほど前,最古の真核生物の化石は19-16億年ほど前から見つかっています.多細胞生物の化石は12.5-7.5億年ほど前にならないと現れないので,単細胞生物から多細胞生物が現れるのに少なくとも数億年はかかる訳です.真核生物の出現や,今問題となっている単細胞真核生物から多細胞真核生物の出現はそれくらいのタイムスケールになっている訳です.生物の進化は,次世代に伝達される変異が世代ごとの遺伝子複製時の変異にしか依存しない為に世代数を基準に考えるのですが,出芽酵母の世代時間は最適環境で1.5-2.5時間ほどです.つまり,多く見積もっても1年程度の実験な訳です.実際の進化にはその数億倍の時間が経っている訳で,数十倍程度の差なら野外環境としてまだ分かりますが,実際は数億倍かかっているものを実験のタイムスケールで上手く再現出来ているかというと大変疑問に思う訳です.生物の進化史は高校生でも習う情報で,世代時間などをちょっと調べれば高校生でも充分におかしいと気付ける内容です.ただ,これは印象論的にはインパクトがあるように思える情報ですが,論理的には単なる傍証なので,先日は出さなかった訳です.

 

前の投稿の情報で著者の論旨は完全に論駁出来るので,そうしました.そもそも,凝集細胞集団がモノクローナル(に近い)なだけで何故flocculationではないと言えるのか,意味が分かりません.Flocculationという現象とモノクローナルという現象は概念的に独立で,お互いの定義にお互いが現れる訳ではないからです.おかしいことはたくさんあります.

 

こういう論文よりは,今日受講した「環境を可視化する技術と応用」で話題になったMarunouchi Street Parkの環境の可視化による有効性の評価の方が余程地に足がついています.熱環境の測定や人流計測,飲食店の売上調査や来訪者のアンケート調査などでその有効性を議論しています.意味のないデータ一件だけに全てが依存しているという形を取らないことは大切です.