平家物語・徒然草

平家物語』は全篇を通して諸行無常・盛者必衰の理の仏教精神が貫かれていて,それらが繰り返し繰り返し登場人物をおそっている.感情の機微という点では『源氏物語』に劣っているが,武士のより実際的な行動(それでも蒙古襲来での齟齬から見られるように地位や名誉を重んじる傾向はある)が中心になっている.琵琶法師が謡っていたので黙読していてもそのリズミカルな調子を体感しながら読み進めることが出来る.長大な歌という印象がある.

 

一方の徒然草吉田兼好の独創的なセンスが光っている.最後の第二百四十三段,

 

八つになりし年、父に問ひて云はく、「仏は如何なるものにか候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。

 

は,大河ドラマ麒麟がくる』で織田信長の問い掛けに対する明智光秀の答えの中で引用されていて,光秀の教養を示唆するものとなっている.