いきものの「種」はどのように決まるんだろうこぼれ話

Xで連載していた,著書の『いきものの「種」はどのように決まるんだろう』の内容の紹介を以下に示しておきます.

 

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CMQ5ZXJS

 

 

 

・表紙について

表紙の写真はブダイと,そのブダイに付着した寄生虫を食べるホンソメワケベラという魚です.これは2種が相利共生していることを示す生態展示になっています.京都大学白浜水族館で撮影しました.

 

魚類のうち結構な種類のものが,ホンソメワケベラを発見すると近寄って行きます.寄生虫を食べてもらう魚はその寄生虫を食べてもらいたい体の部分をホンソメワケベラに差し出したり,全身を硬直させてホンソメワケベラを受け入れます.ホンソメワケベラは鏡を見て自己認知できる鏡像認知能力を持つ,賢い魚です.チンパンジーやある種のゾウよりも認知能力が高いそうです.大脳皮質が発達していることと,例に挙げた哺乳類では視線を合わすことが敵意を表すためそのような行動が忌避されているためではないかとされています.一方ブダイは,寄生虫などからの害を防ぐため,もしくは匂いを外に漏らさないために,鰓から出る粘液で寝袋を作り,その中で眠ることで有名です.

 

こういう2種の相利共生が成り立つためには,お互いがお互いの利益になることが適応的に進化しないといけません.お互いの行動がそれぞれのコストに見合う十分な利益があることが前提です.しかし,その他にも2種が区別できること,そして2種のこういった性質(形質)が安定に保持されることが必要です.生物の進化は遺伝子の変異で促されるので,基本的にはDNAが正確に複製されるとはいっても,ごく僅かに複製の誤りが起こることが進化には必須です.ただし,誤りが起こりすぎても形質が維持できずに別の生物に変わってしまうので,誤りの頻度はそれ相応にごく僅かである筈です.生物のゲノムサイズ(ゲノムの総塩基数)と突然変異率には反比例の関係があり,これらが成り立っています.

 

しかし,2種が区別できることにはどのような背景があるのでしょうか?別種の形質が交じり合わないのは何故でしょうか?これがこの本の主題になっています.生物学の一般論から「種」に関する話題,そしてその背景にある基本的な法則をマスターとなる数式

 

s = ln(N/N_k)/ln k + |D|i

 

で捉えて演繹することに主眼があります.この数式の内容については後で.

 

 

 

  • 裏表紙その1

裏表紙にあるのは和歌山県白浜町にある番所山公園の南方熊楠記念館屋上からの眺望です.白浜の地には京都大学の瀬戸臨海実験所もあり,学生たちの実習の為には適した地です.臨海実習とは海洋生物を詳しく観察して生物学の基礎を学んだり生命科学への考察をする為の実習です.沿岸地域の動植物や海洋の無脊椎動物,海藻,プランクトンなどの観察や実験を行います.昭和4年昭和天皇の紀南行幸の際,天皇は比較的近辺にある田辺市の神島と白浜町畠島南方熊楠に伴われて案内されました.神島は国の天然記念物に,畠島は国有となり京都大学畠島実験地となっています.両島とも吉野熊野国立公園内にあります.

 

南方熊楠は,明治時代から昭和の初期にかけて活躍した日本の博物学者・生物学者民俗学者です.変形菌(真正粘菌)や菌類,藻類,蘚苔類,シダ類の研究で有名で,生態学保全生物学の考え方を日本に紹介しました.Nature誌には51本の単著論文を掲載し,Nature誌での単著論文掲載数の歴代最高記録となっているらしいです.南方熊楠記念館の他にも,田辺市の旧宅には南方熊楠顕彰館もあります.

 

researchmap.jp

 

変形菌や細胞性粘菌を生物学的に研究するメリットは,まず単細胞生物でありながら多細胞生物としても振舞う時期があるので、多細胞生物の発生や形態形成などに関して非常に基礎的で原始的なメカニズムを有していると考えられることがあります.熊楠もおそらくこういう性質から変形菌に興味を持ったのでしょう.ただ,今では熊楠の時代にはなかった分子生物学的技術があり,これを適用しやすいのは細胞性粘菌の方です.増殖の速さ,遺伝子導入や遺伝子改変のしやすさがあるからです.さらに,野外サンプリングも容易で,生態学的な研究もしやすいです.私もそれで論文を書いています.

 

link.springer.com

 

分子生物学的手法で野生株と複数の変異株での結果を比較することは,見ている生命現象が生物の適応の結果現れた現実の生命事象であることを理解することに大変有用です.物理系の研究者の方が生物の研究をする際によく野生株のみのコントロールのない実験をされていますが,それだと見ているものが現実の生命事象なのかただのノイズなのかよく分からないことが多々あります.変異株を用いることは,その変異の入った遺伝子に全てを帰する為ではなく,コントロールの実験として大変有効なのです.ただ,こういった組換え実験は法律上の許可を得た施設でしか行えないので,私的な研究では行うのは難しいです.私も今は出来ません.実験を許してくれないので施設に「裏間取り」をつくってコッソリ実験をしようとしたアウトロー体質のPIがいたそうですが,そういうのは直ぐにバレかつ違法なので気付いたら直ちに止めさせましょう.

 

 

 

  • 裏表紙その2

さて,熊楠は変形菌に生死を見,静的な胞子が生で動的な変形体や子実体が死への道であることに興味を持ったそうです.それは細胞性粘菌でも一緒で,細胞集団の中のどの細胞が柄となって死に,どの細胞が胞子となって生き残るかは多分に細胞間コミュニケーションの産物です.細胞個体レベルでなく集団レベルで選択が掛かっていなければ有り得ない話ですので,進化的にも面白い話です.熊楠はおそらくそういうことからも変形菌の中に生命現象を見出したのでしょう.進化生物学においてはHamilton方程式というものがあります.血縁度をr,利他行動による血縁者の利益をB,利他行動の損失をCとすると,利他行動の進化条件が

-C + rB > 0

より

r > C/B

となることです.ここで,rBCは実際のところどう決めたらいいのかとか,その関係は本当に掛け算や足し算などの単純な演算で表せるのかとか,疑問はたくさんあると思います.数理モデルは,その抽象化が適切でない場合は何の意味もない結果を返すだけだからです.しかし,今まで見てきたように,細胞性粘菌の場合はBが生存胞子数,Cが柄の死細胞数,rが遺伝的に決定された血縁度とすれば,モデルが適切かどうか直ぐに解析出来そうですね.

 

集団遺伝学においては,ホモ接合度をF,有効集団サイズをNe,非協調個体の出現率をµとすれば,一倍体の場合で

F > 1/2Nₑμ

が集団が安定である条件と近似出来ます.つまり,集団が過分に大きいと,その系はヘテロな集団となって,何らかのきっかけで崩壊する可能性が大きくなります.私も細胞性粘菌を長期継代し,ある一定世代数継代すると生存細胞数が極端に減少しますが,生き残った細胞を継代するとまた多数の細胞が増殖出来るようになり,暫くしてまた生存細胞数が極端に減少することを繰り返すことを見出しています.(SARS-CoV-2のダイナミクスとの関係は,その生活環の違いやSARS-CoV-2の置かれたヒトの社会行動に関する環境の複雑性からよく分かりません.)その背景にあるメカニズムはそもそも細胞内のゲノムの問題なのか細胞間コミュニケーションの問題なのかということも含めて不明で,しかもラボの経営方針上それ以上は実験を続けませんでした.変異株を用いて実験すれば様々なことが分かる可能性はありますが,PIが許可しないことはやってはいけないのがルールです(ただし,「裏間取り」の話などPIの指示がもっと大きなルールに抵触している場合は別です).ですが,南方熊楠の世界観に変形菌や細胞性粘菌の性質が深く関わることはお分かりになると思います.

 

 

 

  • はじめに

ここでは「自己」と「他者」の関係が出て来ます.一つの細胞を「自己」と見る場合でも,その区別は難しいです.多核細胞があったり,植物細胞のように多数の細胞の間で原形質連絡があったりなどするからです.脊椎動物の個体の場合はMHC(主要組織適合遺伝子複合体)があって,免疫反応の時に抗原提示を行なって感染病原体の排除の反応を始めたり,がん細胞を拒絶したり,臓器移植の際の拒絶反応を起こします.拒絶反応が起こるということは,対象の分子は「自己」でなく「他者」であると判断されたということです.ヒトの臓器移植の場合,MHCのハプロタイプを調べて一致する人をドナーとして選ぶので,この場合は個体としての「自己」と「他者」ではなく,「近親者」と「そうでない人」の区別を付けていることになります.このように,注目する生命現象によって「自己」と「他者」の区別は異なって来ます.

 

『いきものの「種」はどのように決まるんだろう』では,自己=同種か他者=別種かという,「種」の区別に着目しています.検索表を使えば注目している生物の「種」は形態的に同定できる場合があります(それでも難しい場合もあります).さらに,遺伝子を調べて系統樹を作れば,遺伝的に近縁な集団がクラスターを成して,他のクラスターと区別出来ることもあります.しかし,その違いが「種」の違いによるものなのか,同種の個体群の地理的な違いによりたまたま遺伝的に隔たりがあり,「種」の違いというほど決定的には違わないのかの区別は簡単ではありません.生物学上の普通の「種」の概念は生物学的種概念と言って,同地域に分布する生物集団が自然条件下で交配し子孫を残すならば,それを同一の種とみなすものです.しかしこれでは無性生殖のみをする生物には適用出来ませんし,地理的に広く分布する種なら近くにいるもの同士では交配でき,分布の端の方のもの同士では交配出来ない場合は同種なのか別種なのかよく分かりません.しかし,ヒトとチンパンジーのハイブリッドがいないように,何らかの区別はある筈です.ヒトとチンパンジーの場合は生命倫理上の問題があるので,そもそも染色体の数が異なるのでハイブリッドがいても子孫を残せないということ以上の研究はされていません.しかし,その他の生物の場合は研究が進んでいますので,その例を紹介して行きます.

 

 

 

  • 図1

この写真は俗に言う「カラスの葬式」を撮影したものです.この場合はハシブトガラスのものです.「カラスの葬式」はカラス科の鳥類が命を落とした仲間の周りに集まって騒ぐものです.カラス科の鳥類は知能が高く,呼び合ったり集まったり,命を落とした仲間がいることを他の個体に伝えることが可能です.これは仲間を悼んでいる訳ではなく,自分たちが仲間を死に追いやった脅威を見極めているのだと言う説があります.

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

https://corvidresearch.files.wordpress.com/2015/09/swift_marzluff_crows.pdf

 

これはアメリカガラスの場合で,カラスの死骸を持った人間を脅威とみなし,その人物の近くで餌を食べる場合にはかなり警戒するそうです.ただ,このような目的論だけで全てを説明出来るかどうかは不明です.また,カラス科の鳥類は知能が高いので,警戒と同時に本当に仲間の死を悼んでいても何も問題はないので,「カラスの葬式」について全てが分かっている訳ではないと思います.

 

「カラスの葬式」の最中では死んだカラスに対して「一緒に飛び立とう」と言う意味の呼びかけが他のカラスによりされるそうです.図1の写真は私が個人的に撮影したものですが,当時はまだスマホを持っていなかったので,その騒ぎの様子を録音することが出来ませんでした.カラスの会話にも詳しくないので,このことは確認していません.

 

ただ,集まったカラス全てが「家族」と言う訳でもないでしょう.その為,彼らには自分たちと「同種」であるかどうかを見極めることが出来るようです.その面白い例の1つとして挙げさせて頂きました.

 

 

 

  • 第1章 pp. 8-11

ここで生物には「遺伝,代謝,細胞」という3つの基本的性質があることが出て来ました.分子生物学的にはそれぞれ遺伝子,情報高分子,細胞がその特性を担います.遺伝子と細胞は分子を組み合わせて生物の構造を作り上げ,代謝が生命を生きながらえさせます.これら3つの性質の持つ機能をもう少し具体的に説明すると,「自己増殖能力」「エネルギー変換能力」「自己と外界との明確な隔離」となります.これに「進化する能力」を4番目の機能として加えることもあります.ウイルスやウイロイドなどは宿主となる細胞がないと増殖出来ないので,細胞を持つことも基本的性質となっています.また,生物を構成している物質自体は絶えず入れ替わっているので,その物質ではなく物質間の関係性が本質となっています.しかし,勿論生物は単独で無機的環境の下のみでは生きていないことが多く,生物間の相互作用も重要になって来ます.そして環境自体も作り変え,自分たちの生存に適した状況を形成して行きます.このことについては後で触れます.

 

生物の不思議の例としてはアマガエルモドキ科の形態的特徴,タツノオトシゴ属の繁殖戦略,ベニクラゲ類の不死化,ロゼット・ノーズド・カメレオンの捕食機構などを挙げました.それぞれが生存戦略として上手く機能しています.特に繁殖戦略や不死化は次世代の形成に直接関わってくる重要な概念です.繁殖戦略についてはr-K戦略説や性選択として後で紹介します.不死化に関し,生物において一般的には時間の経過とともに機能低下が起きる老化,それに続く死が起こる場合があります.一部の動物個体の老化の原因ははっきりしない(細胞老化はテロメアの短縮による)のですが,多くの生物では老化や寿命が確認出来ない場合もあります.老化の原因としてはテロメア短縮によるプログラム説,遺伝修復エラー説,活性酸素説,摂取カロリー説,糖化反応説などが挙げられますが,はっきりとしたことはまだ分かっていません.死の意義としては古い個体の修復よりも新しい個体の生成の方がコストが少なくなるとする個体使い捨て説,テロメア説,死に意味はなく祖先形質がたまたま残ったとする偶然説などがありますが,こちらもまだよく分かっていません.ただし,不老不死に近いベニクラゲ類などでは進化が個体にとって良い意味でも悪い意味でも遅くなることは確かだと思われます.このように生物の不思議から考えられることは多岐に渡ることを実感して頂く為に,4つの例を挙げました.

 

 

 

  • 第1章 pp.  11-14

ここでは「進化」という概念について扱いました.遺伝的変化を扱っていることから正確には遺伝子が見つかって以降の知見にしか適用出来ず,ダーウィンの頃はまだ概念が「不完全」だったということですが,類似の概念はギリシア時代から存在はしていました.ダーウィンの功績はそれを証拠をたくさん挙げながら説得力のある形で提示したということです.「進化」という概念自体は誰でも思いつきそうだと思っておられる方もおられますが,ダーウィンほどそれを上手く言い表した人物はそれまでにいなかったというのがポイントです.

 

続いて自然選択説用不用説などが挙げられています.用不用説に関わる「獲得形質の遺伝」については教科書的には否定されたことになっていますが,これは誤りです.数世代程度なら獲得形質も遺伝することが線虫などの研究から分かっています.遺伝はDNAを介して起こることが多いというのは,それがヒストンの修飾由来の獲得形質の遺伝が絶対起こらないことを保証するものではないことは高校生でも分かると思いますが,そうでなかったのが教育界の現状でした.

 

一方,ダーウィン後の進化論の展開として突然変異説,中立説も本文では挙げています.これで突然変異の自然選択もしくは遺伝的浮動による進化が説明出来るようになります.中立説も思いつきくらいなら高校生でも出来ますが,確率論的裏付けはやはり専門家でないと難しいでしょう.ただ,現在のネオダーウィニズムは自由な発想も許容した柔軟性のある理論であることがお分かり頂ければと思います.

 

 

 

  • 第1章 pp.  15-25

ここでは基礎生物学の紹介として生物圏の進化史や生態学的性質,多細胞生物の生理的性質を簡単に紹介しました.

 

生物圏の進化史では生命の起源に纏わる謎,RNAワールド仮説,真正細菌古細菌の登場までは比較的速く進んだことを示しました.その後10億年ほどしてシアノバクテリアによる酸素環境の改変,さらに10億年ほどしてそれを利用した真核生物の進化が起きました.真核生物の分類に関しては2019年に国際原生生物学会が提案した分類体系を紹介しました.真核生物の分類はゲノム情報の蓄積に伴いどんどん変わっていくので,常に新しい分類を参照するようにして下さい.スノーボールアースなどの環境変化は今では定説になって来ています.古生代の初めには有名な「カンブリア爆発」と呼ばれる多細胞動物の多様化が起きました.その原因は今なお謎です.生物は大量絶滅と適応放散を繰り返し,現在に至っています.生物とその生息する環境には密接な関わりがあり,生物同士,生物と環境の間でお互いがお互いに影響しあって進化する例として,生物圏進化史を振り返っています.そして,単純な構造の生物から複雑な構造の生物までが共存しています.それを理解するには進化史の中での生物の生態も重要になることを示しました.

 

生態学的な不思議についてはカピバラ,フラミンゴ科の鳥,フクロムシを例に挙げています.カピバラはワニとの軍拡競争,フラミンゴは食物に由来する色素による性選択,フクロムシは寄生の例です.どれも生物同士の関係が生体的な性質に大きな影響を与えている例です.性選択は異性をめぐる競争を通じて起きる進化で,後で詳しく述べます.

 

生理学的な不思議に関しては,植物が物理的ストレスに応答する接触形態形成,クレナイホシエソの発光器.アメリサンショウウオ属の顎腺から出る求愛フェロモン,ヘリスジヤシハブの毒腺と熱を感知するピット器官という,ヒトの性質からは予想しにくい多様性を紹介しました.

 

 

 

  • 第1章 pp.  26-34

ここでは多細胞生物の発生学,DNA,遺伝,代謝,細胞,タンパク質などの現代分子生物学の基本を簡単に紹介しました.20世紀になって思想の世界では「構造主義」という,凡ゆる現象に潜在する構造を抽出して現象の理解・制御を行おうとする考え方が生まれました.生物学も多分に漏れず,分子生物学自体が分子の構造から生命現象を考える学問として成立しました.タンパク質の構造に基づいて分子がくっついたり離れたりという性質の解析,細胞の構造,様々な高分子による代謝,構造物質としてのDNAと遺伝の理解,さらには分子生物学に基づいた発生生物学などにおいて,構造主義は一定の成果をおさめました.今では医学や農学,生態学,進化学への応用も行われています.ただ勿論,構造を捉えただけではよく分からない高次生命現象も存在し,それを研究するための新たなフレームワークが求められています.この本もそんな高次生命現象の一つ,「種」を取り扱ったものです.

 

図1.12では左にワトソン,右にクリックが写っている有名な写真を載せましたが,皆さんお気付きになりましたでしょうか.ワトソンは後日,自分が「アホづら」をして写っていると供述したようです.DNAの構造解析にはロザリンド・フランクリンも大きく貢献しましたが,早くに亡くなったためにノーベル賞は貰えませんでした.

 

生命の三要素の一つである「遺伝」という現象は,後天的な疾患や学習の効果,文化の継承などを含まないものです.DNAやそれに結合するヒストンの修飾などを介して行われます.親子間の「遺伝」により個性が継承され,また突然変異により「進化」が可能になります.次の生命の三要素の一つである「代謝」については,インスリンシグナル伝達経路の分子的詳細とそれに関わる代謝を紹介することでその複雑性を紹介しました.生命の恒常性の維持に重要な概念です.最後の生命の三要素の一つである「細胞」については,その区切りである細胞膜とそこに埋め込まれ受容体やトランスポーター,チャネルなどとして働く様々な膜タンパク質について述べ,細胞内外から/への分子のやり取りを紹介しました.そしてその後に,生命現象の基盤となるタンパク質と様々な分子間結合について述べました.分子の構造や機能を調べることで,生命現象が如何に深く理解出来るかの例として挙げました.

 

 

 

(10)第2章

第1章では「遺伝,代謝,細胞」に関わる基本的な生命現象について記述しました.第2章では第1章でも触れた生物同士の関わり合いについてみることで,同種を認知しやすい「群れ」を考えるに当たり必要な背景を述べています.具体的には,競争,捕食,被食,寄生,相利共生,片利共生,片害共生,中立などについてです.これらは生物的環境として理解出来ます.さらに,無機的環境もひっくるめた地域の環境全体が,生物の生活を知る上でキーになります.

 

競争の例としてはアメリアカシカのオスのメスを巡る種内競争を挙げましたが,類似の例は他の多くの生物で見られます.進化の原動力は種間よりもニッチ(生態的地位)の重なる種内の方が強いことも述べました.また,分布の空間構造を考えたメタ個体群を考えることで部分的に絶滅しても移入により分布がまた復活し,安定な環境が維持されることも考えました.これが狭い実験環境での絶滅と食い違う実際の半永続的な分布を説明することになります.

 

次に,種間競争の例として動植物の例を考えました.これらも生態的に似たもの同士の生存競争として捉えることが出来ます.イワナとヤマメのように,競争の結果住み分けることもあります.

 

さらに,生物間の相互作用の総体として光合成や化学合成に基づく独立栄養生物としての生産者,生産者や他の消費者を食べる消費者,有機物をまた無機物に分解して物質の流れを循環させる分解者を考えました.これは生態学の基礎となるアイデアで,生物はエネルギーをその流れに沿って取り出すだけですが,物質はリサイクルしていることが分かります.

 

その他にも様々な寄生関係,花と昆虫,菌類と藻類の共生体である地衣類などの相利共生,ヒトとニキビダニなどの片利共生赤潮などの片害共生,そしてミトコンドリア葉緑体などの細胞内共生について述べました.こういった関係の中で,他の個体とどう付き合うかが次章で取り扱う生物の「群れ」を考える基礎になります.

 

 

 

(11)第3章 pp. 48-60

第3章では,同種で集まることの多い動物の「群れ」について記述し,その適応的意義を議論しています.植物の場合は「群生」です.群れをつくるとメリット・デメリット両方があります.メリットは天敵に対する集団防衛,繁殖のしやすさ,餌の情報の交換などで,デメリットは食料の消費,伝染病の蔓延,地域的な災害による危機などです.お互いのバランスの上で,群れをつくりやすくなるかつくりにくくなるかが決まっていると考えられます.社会構造は種によって様々に多様化しています.アユのように構成メンバーが始終変わって社会性の低いものから,ニホンザルやハチ類など高度な社会性を持つものまで様々です.

 

群れで繁殖する場合は近交弱勢を回避する為に,母系または父系の集団をつくってオスもしくはメスが生まれた群れを出て別の群れに移動することもあります.ライオンやニホンザルは母系,チンパンジーは父系集団です.血縁集団の群れは繁殖のために形成されるので理解しやすいです.タンチョウなどの家族群もそうです.自分に近縁なものを守ることで,血縁選択がかかっていると解釈することも出来ます.

 

その他には一定地域の全個体が集まって繁殖する海鳥の仲間,サケ属,イカ類,サンゴ類などがいます.これはあまりにも多数の個体が集まることで卵や幼体をその地域の天敵が捕食し尽くせなくなる効果にもよるものだと考えられています.少数の犠牲で多数の近縁者の繁殖を守るということです.一方バッタ類やヤスデ綱,ヨトウガ類の群れは突発的に形成され,社会的な意味合いは低いです.これらの群れの形成原因は餌の分布状況の変化の問題によるものだと思われます.

 

鳥の仲間はよく集団ねぐらを形成し,カラス類などでは餌の情報センターとして機能していると考えられます.2種類以上の種から成り立つ群れは混群と言います.カラ類やキツツキ類などは冬場によく混群を形成し,それぞれが得意分野を分担することで効率的に餌を採取します.偶然生じる群れとしては深海熱水鉱床のものなどがありますが,これには社会的な構造はありません.

 

 

 

(12)第3章 pp. 60-72

群れの形成されやすさは季節によって異なります.繁殖期よりも非繁殖期,それよりも渡りの時期の方が群れは形成されやすいです.その群れが形成されるメカニズムとして,一つは共通の資源を求めて競争する負の要素があります.感染症の蔓延もこれに連なるでしょう.もう一つは群れを形成することによる警戒の必要性の低下など,正の要素があります.採餌時間が最も長くなる最適値は,それらのバランスが取れたところにあると考えられます.これが最適群れサイズに関する理論の基本です.

 

群れのメリットとしてはその他にもアシナガバチ類などの集団越冬による耐寒性の増加,ライオンやハイイロオオカミ,多くの鳥類の分業や協調行動,集団繁殖などがあります.

 

最適群れサイズの要因を解釈するには,「利己的な群れ」の考え方が適用されています.ハヤブサに襲われるムクドリなど天敵からの脅威の希釈,オオタカに襲われるモリバトなどの警戒力の増強,水鳥のヒナまぜ,モビングなどがあり,群れ内では順位があることも利己性や社会性を表しています.ハマシギハヤブサに襲われてボール状の群れになるのは外側だと捕食されるので皆が内側に行こうとした結果とされています.また,コウテイペンギンはブリザードの中皆が風下に移動して集団自体の位置が移っていきます.

 

縄張りは群れとは相反するようですが,アユのように条件によってその行動を変えるものもあります.縄張りは瀬,群れは淵に多く,また個体群密度が過剰に大きいと縄張りが維持できなくなり群れとなるというものです.

 

最後に植物の群生について考えます.スダジイやアカガシなどは尾根に多く,ホソバタブなどは谷に多いというように,環境的な理由で決まっている場合があります.また,スダジイやアカガシなどは同所的,コメツガやシラビソなどは排他的分布になるなど,生態的な理由で決まっている場合もあります.生態的過程が何もない場合はランダム分布,ある場合は最初は集中分布で,競争が進むと一様分布に近づきます.遷移や撹乱なども重要な概念です.個体数や現存量を急速に増大させるr戦略と個体数や現存量を最大化させるK戦略の軸や,ストレスや撹乱が少ない環境で競争に勝つ戦略,ストレスに強い戦略,撹乱に依存した戦略という3つの戦略の軸など,複雑な戦略の研究が進んでいます.

 

まとめてみると,群れの利点には警戒・防衛上の利点,摂食行動上の利点,繁殖行動上の利点の3つがあり,どれも生き残り戦略の上で重要です.遺伝的に近縁な場合に群れを作りやすいこともこれらから予測されるでしょう.次章からはいよいよ「種」の実態について迫ります.

 

 

 

(13)第4章 pp. 73-81

第4章ではダーウィンの『種の起原』を取り上げ,当時の種の概念はどのようなものだったのかを議論しています.これがその後の議論の序論になります.ダーウィンは進化論の提唱者として有名ですが,驚くべきことに『種の起原』の初版ではevolutionという言葉は使われず,descent with modificationと形容されています.Evolutionという言葉を使い出したのはハーバート・スペンサーで,ダーウィンは1872年の『種の起原』第6版でようやくevolutionという言葉を使い出します.ダーウィンは生存競争と自然選択によって生物が環境に適応するように変化し,種が分岐して新たな種が生じる適者生存を唱えましたが,これもマルサスの『人口論』での経済学的原理にヒントを得たものです.他にもウォレスの自然選択の概念もあり,「進化」という概念が他の多くの概念と同じく一人の偉大な研究者が全てを生み出したものではないことが分かります.科学は小さな進歩の積み重ねの結果進展するものです.

 

「自然選択」というのは,(1)生物が持つ性質に個体間の違いがあり,(2)その一部が遺伝し,(3)環境収容力が繁殖力よりも小さく一部の子孫しか生存・繁殖できず,有利な個体の持つ性質が維持・拡散されるメカニズムのことです.しかし,『種の起原』ではその進化の過程に重点が置かれ,どのように個々の種が誕生するのかという種分化の説明はほとんどされていません.実際の「種」の起原,「種」の定義は曖昧なまま「種」は所与のものとされているので,その研究は後世に託されたのです.その他に当時はDNAや遺伝の知見が無かったので変異や遺伝の仕組みに難点があったのですが,こちらについては現在ではほぼ解決されたとみていいでしょう.ただ,進化論を仮説から理論に高めたダーウィンの功績が大きかったことは間違いありません.

 

種の起原』1章では「飼育栽培による変異」が取り上げられ,人為選択による進化が議論されています.これが自然選択の考え方の雛形になっています.ダーウィンはラマルクの「用不用説」を信じていましたが,これはDNAが遺伝物質であることが分かった後,長い間教科書的には否定されていました.最近になってヒストン修飾による「獲得形質の遺伝」としてラマルク進化論が復活したのは先日説明しました.DNAによる遺伝とヒストン修飾による遺伝はそのタイムスケールが全く異なる現象なので,区別は比較的容易です.何でもかんでもDNAの突然変異による「進化」にしないことが大切です.

 

種の起原』2章では「自然界における変異」が扱われています.突然変異はほとんどの場合有害ですが,稀に有益なものがあり,自然選択でその変異遺伝子の数が増殖することが記述されています.ダーウィンは個体差が積み重なって変種となり,その程度が多くなって種となると考えました.これは漸進主義によるもので,差が不連続的な断続平衡説とは異なります.このことについては後で議論します.

 

種の起原』3章では「生存闘争」が議論されています.その具体例は『いきものの「種」はどのように決まるんだろう』の本のこれまでで具体例を見てきました.注意しなければならないのは,ここでの生存闘争が個体間レベルでの話で,「種」レベルの話ではないことです.このことは私のモデルに深く関わります.

 

 

 

(14)第4章 pp. 81-88

種の起原』4章では「自然選択」が扱われています.「最適者生存」とすれば最も有利な系統のみが生き残るようですが,実際にはある程度有利な系統なら生き残り,現実に見られる系統は似たものが幾つかあります.ダーウィンは同じ変異が繰り返し起こって交雑で薄まる効果を凌ぐとしましたが,これは誤りで一度固定された変異は簡単には消えません.性選択という,異性をめぐる競争を通じて起きる進化もここで取り上げられました.クジャク科やシカ科のように雌・雄で著しく色彩や形態・生態が異なる動物についてその進化を説明するためのものです.異性をめぐる闘いにおいてより優れた身体的武器をもつ方が戦いに勝ち,異性と交尾し子孫を残すことによってその武器が進化するような「同性間選択」,配偶者がより顕著な形質をもつ交尾相手を選択することにより進化する「異性間選択」があります.そのメカニズムには(1)一方が他方のある形質を好むようになればその形質とその形質を好むという嗜好がセットになって受け継がれていき,たとえ非適応的な形質であっても発達すると考える「ランナウェイ説」,(2)一方が持つある形質がその質を表す指標になっており,他方がその形質を選ぶのはそれが子孫にとって結果的に適応的だからであるという「指標説」,(3)一方が発する信号的形質や行動の強さがその質を正直に表しているという「ハンディキャップ説」が考えられます.

 

種の起原』5章では「変異の法則」が扱われています.これについては,当時はまだ遺伝学が発達していなかったので曖昧な記述に留まっています.

 

種の起原』6章では「ダーウィンの学説の難点」が扱われています.遺伝的変異がどのように起こるのかが分かっていなかった他,化石記録での形質の急激な変化(一部は後に中間的な形質の化石が見つかって解決)も取り上げられています.ダーウィンの疑問は主に(1)過渡的な移行形態のものが至る所に見られないのは何故か(つまり,何故「種」の違いが認識されて区別出来るのか),(2)習性が著しく異なる動物が類縁種から生まれるのは何故か,(3)本能の獲得や変化が起こるのは何故か,(4)異種間の交配は不稔で変種間では稔性があるのは何故か,の4つでした.このうち(3)は後で現代生物学的には意味のない疑問であることを示します.(2)は(1)の一部で,(1)と(4)については私のモデルで取り上げます.

 

種の起原』7章では「自然選択に対するさまざまな異論」が扱われています.これについては遺伝学や古生物学の発展が解決したので,ここでは省略します.

 

種の起原』8章では「本能」が扱われていますが,現代の神経科学では記憶や五感からの刺激が神経インパルスの発火となり,次の行動に繋がるとされています.それを生得的な行動だと理解しても何も説明したことにならないため,本能という言葉は今では使われていません.

 

種の起原』9章では「雑種」が扱われています.雑種は別種由来の遺伝子を組み合わせることで進化を加速させるものだと考えられています.ただその促進効果は環境により短期間しか持続しないものと長期間持続するものがあることが数値計算上予測されています.そして現代の生物学的種概念は「同地域に分布する生物集団が自然条件下で交配し子孫を残すならばそれを同一の種とみなす」とされている為,雑種は基本的に不稔で,その効果も限定的です.「遺伝子プール」を共有出来るかどうかが種の分かれ目だというのはそういった意味で妥当でしょう.ただし,無性生殖のみの生物の「種」にはこれは適用出来ませんし,連続分布している地域では交雑可能だが分布の端と端では交雑出来なくなる「環状種」にはこの概念は適用出来ません.そういった意味で,より納得の行く「種」の概念が求められているのです.

 

 

 

(15)第4章 pp. 88-95

種の起原』10章では「化石による証拠が不完全なことについて」が取り扱われています.これはダーウィンの漸進主義と食い違うように見えた化石の断続平衡的な形質に基づくものです.この問題についての疑問はその後の中間的形質の化石の発見で大分解消されました.また,地質学的タイムスケールで見れば断続平衡に見えても,短いタイムスケールなら漸進的に見えるということも提唱されるようになりました.しかし,「種」の形質が離散的で「種」が区別出来ることには,何かがありそうです.

 

種の起原』11章では「地質学的に見た生物の遷移」が扱われています.示準化石などがそうですが,ダーウィンは絶滅を重要視しています.そして大陸移動説が受容される前に化石の地理的分布を正しく把握していました.

 

種の起原』12, 13章では「地理的分布」が取り扱われています.ダーウィンはその生物学的要因や地理的障壁の意味を正しく理解していました.

 

種の起原』14章では「生物の相互類縁,形態学,発生学,痕跡器官」について扱われています.分類学の基礎や形態学,生理学,発生学,痕跡器官に関し,変異と自然選択がどう作用するかが議論されています.

 

種の起原』15章は「結論」です.進化に関する様々な証拠を系統立てて紹介し,「自然選択」のメカニズムが議論されています.ダーウィンはこのように進化に関して納得の行く理論を最初に提示し,後世の研究の方向性に大きな指針を与えました.そして理論は遺伝学と統合されてネオダーウィニズムとなりました.現象の時間スケールや遺伝の問題に注意すれば,多くの部分が現在でも通用する議論です.

 

これで「種」の問題についての最初の議論が出来上がりました.「種」はあるように見えるが,何故あるのかはよく分からない,ということですね.次章では現代的な「種」に関する議論を見ていきます.

 

 

 

(16)第5章 pp. 96-102

そもそも「種」の概念形成には紆余曲折がありました.「ある一定時空間範囲に生育・生息する生物1種の個体のまとまり」という「個体群」の概念は,「種」が引用されている部分を除けばイメージしやすいです.しかし,「種」はどこからどこまでが同種でどこからが別種なのか,よく分かりません.博物学者ジョン・レイは1686年に『植物誌』で「種」が不変であるという誤った解釈をしていましたが,多少違う変種とはっきり異なる種の違いに対する直観を持っていました.それを受けてカール・フォン・リンネは1735年に『自然の体系』で種,属,目,綱などの階層的分類を提唱しました.これらに科,門,界,ドメインを加えた分類体系は現在でもよく使われています.しかし,その根本となる「種」が何なのかよく分からないということです.

 

一方,生物の性質が時を経て変化することはラマルクが1809年の『動物哲学』で記述し,ウォレスとダーウィンが1858-1859年に自然選択と性選択の考えをまとめました.これで「種」が変化することは考え方として定着して来ましたが,実際の種分化の理解についてはさらなる研究が必要でした.1866年のメンデル遺伝学,1900年のその再発見を経て,1942年にはエルンスト・マイヤーが「同地域に分布する生物集団が自然条件下で交配し,子孫を残すならば,それを同一の種とみなす」という,遺伝子プールに基づく生物学的種概念を提唱しました.これには無性生殖をする種や環状種などの問題点があることも見てきました.

 

さて,動物の「群れ」は同種で構成されている場合が多いことも今までに見てきましたが,そこからは生物の社会的構造も「種」を考えることにおいて重要であることが分かるでしょう.ハミルトン,メイナード=スミス,プライスらは1960年代半ばから1970年にかけて血縁選択の概念を提唱し,1971年にトリヴァースが互恵的利他行動の概念を提唱して利他行動の持続性の概念が確立しました.さらに,1990年代にはマルチレヴェル選択という,一度に複数の階層に選択圧がかかる現象について問題提起されました.これで個体より上の階層でも,自然選択の対象となる可能性が取り沙汰されました.かつては「群選択」という概念がありましたが,これは「生物は種の保存,維持,利益,繁栄のために行動する.あるいは生物の器官や行動はそのためにもっとも都合良くできている」「自然選択は種や群れの間にもっとも強く働く.従って利他的な振る舞いをする個体が多い集団は存続しやすい」というもので,研究の結果,現在では非常に限られた場合以外は否定されています.現代的には主にマルチレヴェル選択を考えるということです.ただ,群選択による利他行動は互恵的利他行動と異なり,進化的に安定ではないとされていますが,これは勿論自由交配ではない有限時間での条件の下では必ずしも正しくはありません.

 

現在でも「新種」は次々と発見されて止まることはありませんが,そもそも「種」の定義が曖昧なことが混乱に拍車をかける可能性はあるでしょう.見ている形質のクラスターが「個体群」なのか「種」なのかを見極めるのは容易ではありません.形態的種には隠蔽種の問題がありますし,生態学的種,地理学的種,進化学的種,時間的種,そのどれにも恣意的な要素が入ってきます.生物が自己組織化する上で離散的な安定状態が形成されたり,ニッチが離散的であったり,進化的分岐の過程で生殖隔離が必然であると信じられることから「種」の概念が議論になるのですが,もっと客観的な定義が必要になって来ている訳です.

 

 

 

(17)第5章 & 閑話休題 pp. 102-112

種分化の様式としては,大きく分けて異所的種分化,側所的種分化,同所的種分化の3つがあります.異所的種分化は地理的に隔離された二集団が種分化することで,一番理解しやすい種分化の様式です.側所的種分化は基本的には離れているが部分的には重複している(交雑帯・接触帯のある)生息地の二集団において,交雑個体の適応度が下がることで促進される種分化のことです.環状種がその例です.同所的種分化は地理的に全く隔離されていない集団で種分化することで,倍数体形成,食物の変化に依存した昆虫の他,アフリカのシクリッドの性選択などが例としてあります.異所的種分化においては,自然選択もしくは(ほぼ)中立な遺伝子の遺伝的浮動(その遺伝子が偶然その集団に固定されること)により種分化が起こることは理解しやすいです.その他の場合も,それなりの特殊な背景が議論されています.

 

 

「種」が遺伝的に隔離されるためには,配偶前隔離と配偶後隔離が考えられます.配偶前隔離としては生態的隔離,行動的隔離,機械的隔離,交接後受精前隔離,配偶システムによる隔離が考えられます.配偶後隔離としては接合子の死や雑種不稔などがあり,比較的少数の遺伝子が関与するために遺伝学的な解析が容易です.隔離の強さは配偶前隔離の方が雑種形成によるコストを低く抑えられるために強くなりがちです.ですが,遺伝子流動を抑える上では配偶後隔離も重要です.植物においては30-80%ほどが何らかの倍数体であると考えられ,倍数体形成による種分化が盛んだと考えられています.また,雑種形成が新たな種分化を引き起こすこともあります.

 

まとめてみると,「種」の定義には様々なものがあり,どれも恣意的要素が強くて生物学的な意義がはっきりしないものが多いです.生物学的種概念にも問題はあります.しかし,生物の形質の種間での離散的な特徴から「種」が区別出来そうなことも事実です.私はこの課題に数学的に切り込んだ結果,「あるニッチを占める群集内で遺伝的に近縁かつ系統樹上はクラスターをなし,p-シロー部分群で特徴付けられる個体群の集まり」を「種」の定義とすることを思いつきました.これなら無性生殖しかしない種や環状種(つまり同種)にも適用出来ます.この後,この命題について議論して行きます.

 

 

 

(18)第6章 pp. 114-118

ここからの内容は私のプレプリントの内容になります.まずは,「種」の離散性をどう捉えるかです.ここで考えるのはマルチレヴェル選択で,「個体」の上の階層がどう認識し,選択を受けるかを考えることになります.それではまず,均質な「個体群」の生態的特性を捉えるモデルについて述べます.そのモデルとは,ハッベルの「生物多様性の中立説」です.ここでは個々の「個体群」は見かけ上独立に振る舞いますが,「種」は適応的な「種」の個体数だけが飛び抜けて多く非適応的な「種」の個体数は低く抑えられ,「生物多様性の中立説」の予想からの隔たりとして評価出来ます.つまり,「生物多様性の中立説」を帰無仮説として,ある種の情報量を計算すれば中立性からの逸脱が計算され,それが一定の値以上だと「種」と認識出来るということです.さらに,指数関数や対数関数のような関数を利用することで計算値を収束させ,離散性を見やすくすることも考えます.ここで必要なのは数学の中でも数論と呼ばれる分野です.数論の一般的な性質で,個体の上位階層にフラクタル構造の結果として現れる「種」が創発されることを見ます.詳しい文献については実際の本書での引用を参考にして下さい.

 

まず,適当なニッチに属する系でNを個体群(種)密度,kをその系で個体群(種)密度を高い順に並べた時の順位,a, bをパラメータとすると,中立的な分布は

 

Nₖ = a - b ln k

 

と対数的な分布となることが数学的に証明出来ます.詳しくはハッベルの「生物多様性の中立説」の教科書や最大エントロピーの原理に基づく物理学の教科書を参考にして下さい.

 

次に,プライスが「集団」の選択に関して立てた方程式

 

wₖΔz = Cov(wₖ, zₖ) + E(wₖΔz)

 

を考えます.ここでwは選択係数(適応度から1を引く),zを形質,Δは増分,Eは統計的な期待値,Covは共分散とします.Eがその系の全体的な適応度,Covは共分散であることから「個体」でなくその「集団」の全体的な傾向,つまり「個体」より1つ上の階層の選択係数と解釈出来ることが分かるでしょう.各個体群(種)が完全に中立なら調和性N₁ = kNₖが成り立つので,

 

z = ln(kNₖ)/ln k = 1 + ln Nₖ/ln k

 

と置くと,これがある種のエントロピーに関係した量であることが分かります.k = 1の時はここでは考慮せず,後から定義します. Nの総和ΣNとして適応度の期待値を|Dₖ|ᴱ⁽ΣN⁾と,単独の個体の適応度Dを利用して指数関数的に記述すれば,木村資生のマルコフ過程における拡散方程式からDₖ ~ 1(平衡に近い)の時に

 

wₖ = ln(N₁/Nₖ)/ln k - 1 + |Dₖ|ᴱ⁽ΣN⁾, (k ≠ 1)

 

となります.これは調和性(中立性)からのズレの尺度であることが定義から分かります.

 

ここで伊豆半島の細胞性粘菌群集のデータを使いこの計量を計算してみると,驚いたことに|Dₖ|ᴱ⁽ΣN⁾の値がリーマンのζ関数の非自明な零点の虚部の値に近くなることが分かりました.詳しくは本書をご覧ください.これは何故か,どう応用出来るかということに,これから迫って行きます.

 

 

 

(19)第6章 pp. 118-122

ここでln(N₁/Nₖ)/ln kを実部(Re),|Dₖ|ᴱ⁽ΣN⁾を虚部(Im)とする複素計量sを考えます.リーマンのζ関数を利用する為にはそれが自然です.すると,ジップの法則よりパラメータPをとって

 

|Pₖ||Dₖ| = fₛ(k) = 1/(kᴿᵉ⁽ˢ⁾|ζ(s)|) = Nₖ/E(∑N)

 

となるので,リーマンζの零点でちょうど適応度が発散し,そこに相当する「種」が零点の虚部の分布に従って離散的に誕生すると解釈することも出来ます(ただし,実部は1/2となっている訳ではありません).「個体群」のデータではそうならないことも,零点が適応的/反適応的な「種」を形容しているという仮説をサポートします.k = 1の時は,個体群ならRe(s) = 1,種ならζ(Re(s)) = E(∑N)/N₁の逆関数を取れば良いでしょう.

 

リーマンζは,量子統計物理学での場合のようにこの系の分配関数のようなものだと考えられます.Re(s)の個体群での値は0と2の間を揺れ動き,種での値はしばしば2以上となっています.Re(s)は実はフラクタル構造のボックス次元というフラクタル次元に相当することが分かるので,その次元が2かそれ以上,つまり元々の系の1次元の他に高次な生命現象としての次元が1つ以上加わったことを,このsの解析から判断することが出来ます.本書では割愛しましたが,元々のプレプリントではRe(s)は2以上の場合は素数値となり,ボックス次元が整数次元となることも示しています.つまり,高次現象を表す次元が素数マイナス1個分創発されるということです.これは適応度の「量子化」が,その構造を反映したボックス次元でも「量子化」を起こしていると判断できます.これで,個体群のカオスな世界から種の適応/反適応の世界への窓口が示されたことになります.

 

ここで問題になるのが本当にそういうフラクタル構造があるかということです.これについては,sの定義と実部・虚部間の関係からIm(s)の数学的構造がテータ関数と同型になり,それはR×R×H上の全てのコンパクト部分集合上で絶対一様収束し,(3+1)次元の系となることが分かります.詳しくはNeukirch, 1999; Algebraic Number Theory (Springer-Verlag)をご覧ください.これはsの構造を恣意的に仮定した結果というよりも,生物の適応度のなす空間は数論的な性質からsで定義したような構造の高次生命現象を創発すると説明した方が分かりやすいでしょう.なんと,適応度の数論的性質から,離散的な「種」が上記の意味において必然的に生まれるというのです.

 

 

 

(20)第6章pp.122-126

離散的な「種」をリーマンζから見る方法はζの関数等式から計算する方法でも,Re(s)が非自明な零点の1/2か自明な零点の負の偶数になることで同様に分かります.Re(s)が負の領域の解釈は,後で説明します.余談ですが,リーマンζ関数の論文は『種の起原』と同じ年の同じ月,1859年11月に出版されています.日まで同じかどうかは手元の資料でリーマンζ関数の論文が出版された日付が分からないので確認していません.本論とは関係ないですが,興味を持たれる方もおられるようなので一応記述しておきます.

 

これまでの議論に「位相」という,数学において連続性や収束性が議論出来る空間で,これまでの空間を特徴づけると,理解はさらに深まります.一つ注意しなければならないのは,ここでの「位相」は代数的なtopologyの意味での「位相」で,高校物理に出て来る位相角phaseの意味での位相ではありません.訳語が混乱を招いているようです.

 

話を元に戻すと,生物の階層性を認識出来るということは,階層において「自己」と「他者」が区別でき,それが「遺伝」のような現象により伝播するということです.また,環境にも適応出来るでしょう.そこで,個体もしくはメタ個体群からのフラクタルが「種」を形成出来るかどうかを判断すればいいことになります.それにはその指標となる値と射があればいいことになります.それをpという素数で特徴付けられたp-シロー部分群とすれば良いことをこれから述べます.pは,リーマンζの非自明な零点それぞれに対応付けられる素数が適当でしょう.素数は1とその数自身以外に約数を持たず,外界からの影響で異なるいくつかの数に分解されないので安定な数だと考えられます.これが平衡に比較的近い系での現象を捉えるのに適切であるという直観があります.

 

ここで「群」という概念が出てきましたが,郡は集合Gとその上の二項演算μ: G×G→Gの組(G, μ)で,演算がG内で閉じ,演算に結合法則が成り立ち,単位元と逆元があるものです.ここでは群の要素を集団Xから集団Yへの作用,演算を作用の合成,単位元は自己相互作用,逆元は逆向き作用とします.昇中心列が有限の長さでもとの群に到達する冪零群を考えると,生物の構造の場合はそれが安定な構造に収束することを示しています.1872年にシローが証明した「シローの定理」では,有限群Gが冪零群である必要十分条件はGの位数が全てのpᵢ-シロー部分群(部分群とはGの部分集合で群であるもの)に対してp₁ˡ¹p₂ˡ²... pg ˡᵍと素因数分解でき,全ての部分群が正規部分群であることです.群の演算は可換なので正規性は自明で,位数pᵢˡⁱの部分群は全て共役となります.ここでの共役は集団の遺伝的均質性と解釈出来ます.正規性や共役の詳しい解説は代数学の教科書を参考にして下さい.これで種が複数集まった群集Gの部分群pᵢを種として考えられることになりました.ここでlがフラクタル次元のRe(s)そのものとすると,マルチレヴェル選択に対応するトポロジーの式になることを続いて議論します.

 

 

 

(21)第6章pp.126-129

先日紹介したNeukirchの理論を利用して,種kに関する指標s, wにより張られる空間が局所コンパクトであるとします.Q, Rを個体群レベルと種レベルの局所コンパクト空間上のコンパクトリーマン面とし,関数f: Q→Rを考えます.k = 1を除いてfは正則だとしましょう.次元lを考慮し,それぞれの種のQは分岐指数lの単分岐をします.Qᵣを分岐点の集合とし,fをf⁻¹(f(Qᵣ))の補集合上の次数E(∑N)の被覆関数とします.種数g(Q), g(R)を適当にとれば,リーマン—フルヴィッツの公式

 

g(R)-1 = (1/2)*∑ᵢ₌₁ᵍ(lᵢ-1)+E(∑N)(g(Q)-1)

 

が成り立ちます.g(Q), g(R)を個体群と種のRe(s)とすれば,g(Q)-1はw_Qなので,プライス方程式は右辺の加算の第一項と第二項がRに関するsの実部マイナス1(wの実部)と虚部に対応することを考慮して

 

w_R = Re(s_R) - 1 + Im(s_R)

 

となり,マルチレベル選択の式をトポロジーで解釈したことになります.Im(s_R)が個体群の選択係数で,Re(s_R) – 1が種の創発による選択係数の増分になり,種を創発することによる利益に相当します.

 

これで,「種」とは「あるニッチを占める群集内で遺伝的に近縁かつ系統樹上はクラスターをなし,p-シロー部分群で特徴付けられる個体群の集まり」と定義することの妥当性に納得が行きます.有性生殖いかんは関係なく,環状種は同種となります.ニッチについての情報,DNA情報,それに個体群密度の情報が必要ですが,これまでの議論より大分スッキリしました.

 

しかし話はこれでは終わりません.数学的な議論の展開で,もっと様々な情報を引き出すことが出来ます.例えば,素閉測地線を考えてみましょう.測地線とは,曲面(より一般的にはリーマン多様体)上の曲線で,その上の十分近い2つの離れた点が最短線で結ばれたものです.閉は曲線が閉じていることを,素は素な合同類全体を渡ることを示しています.これをpとしましょう.双曲曲面上のセルバーグζ関数

 

ζ_Γ(s) = ∏ₚ(1-N(p)⁻ˢ)⁻¹

 

を考えると,N(p)が素閉測地線のノルム(長さ)になります.この関数のラプラシアン行列式を計算すれば離散的スペクトルと連続的スペクトルが計算できます.伊豆の細胞性粘菌の場合は連続的スペクトルに対して離散的スペクトルの強度が個体群ならおおよそ10の3乗倍,種ならおおよそ10の263乗倍となり,離散性の定量化が出来ます.続きは後で.

 

 

 

(22)第6章pp.129-132

今度はハッセ−ヴェイユのL関数を考えてみます.Eを有理数の集合で近似した導手z-1上の楕円曲線とすれば,

 

L(s, E) = ∏ₚLₚ(s, E)⁻¹

Lₚ(s, E)  = (1-aₙp⁻ˢ+p¹⁻²ˢ), (1-aₙp⁻ˢ), 1

 

(右辺はそれぞれN(p)が0でなくかつz-1がpで割り切れないかp=1の時,N(p)が0でなくかつz-1がpで割り切れるがp²で割り切れない時,N(p)が0でなくかつz-1がp²でも割り切れるかN(p)=0の時)となります.Lₚが発散しない時はL(s, E)は1か-1で,系は振動します.ただRe(s) > 2ならL(s, E)は収束し,種の形質が安定していることを表します.このLとζ_Γを等しくすると,N(p)が個体群の場合は全て1,種の場合は種が見えている時は全て2/3,そうでない時は全て1にかなりの精度で等しくなります.詳しくはプレプリントに譲りますが,これを数論的に解釈すると2/3は集合間にヘテロな相互作用がない時,1はある時に相当します.つまり,種が見えている状態ではその種は群集の中で独立独歩になっていると考えられます.さらにpに関してはハッセζ関数の解析からpを4で割った値が1なら反適応な種,3なら適応的な種となり,p = 2なら分岐します.解析した全てのデータでこれは成り立ちます.このように,種が適応的か反適応的か,ヘテロな相互作用を許すかどうかも計算で判断出来ます.

 

さらに,確率が正の場合は過去のデータからのベイジアン的な確率だと考えられますが,確率を負とすると頻度主義的な未来の状態を予測出来る確率と出来ます.このことからRe(s)が負の領域での自明な零点近傍では,sと確率±Nₖ/∑Nとの関係から未来に種が適応的もしくは反適応的になるかを予測出来ます.実際,データ上はそうなっています.

 

このように,ニッチと系統情報がきちんとしていれば,さらに個体群密度の情報だけで「種」の定義に限らず様々な情報が抽出できることが示唆されます.プレプリントにはさらに多くの例も挙げています.次はこういった議論からはっきりしてくる「種」の働きや,「種」に限らずさらに一般的な議論について見て行きます.

 

 

 

(23)第7章pp.133-141

「種」の機能に関しては,もっとオーソドックスに統計物理学を応用して調べる方法もあります.電子のスピンのように,個体が増殖する傾向を+1/2,死ぬ傾向を-1/2とします.そこで磁場中の独立スピンの二状態モデルと同様のモデルを考えれば,減衰や特性振動数,スペクトル強度などが計算出来ます.減衰率からは種の方が個体群より安定で,特性振動数からは時間スケールが大きいことが分かります.また,スペクトル強度からは先駆種が極相種よりもコントラストが強いことが分かります.磁性の平均場近似からは,ワイス場が実現される時が適応度が最高になる時だと予測され,現にそうなっていることも分かります.このように,生態学的性質の定量に統計物理学は役に立ちます.ここで注意しなければならないのは,このモデルは実際の物理的磁気とは関係がなく,ただ抽象的な数理モデルを共通のものとしているだけのことです.強く磁化された磁気生物が生まれるということを言っているのではありません.だからこのモデルがダメだという人がいるのですが,それは内容の理解が混乱しているだけです.

 

その他にも生物の相互作用に選択がかかるとみた時のロトカ=ヴォルテラ競争系にパンルヴェ第IV方程式を適用したり,ガウスの超幾何微分方程式を適用して,時間発展の式を算出することも出来ます.その具体的な形は本書やプレプリントを参照して下さい.

 

さらに,確率論的な対称性を利用し,超弦理論を応用すれば3次元のモデルが揺らぎを得て9次元になったモデルが立てられますし,宇宙論におけるフリードマン方程式の類似モデルでは適応度宇宙が振動するので,適応度がある一定のレベルを越えるには新たな階層を創発しなければならないことも予測されます.このように,理論上の展開はたくさんありますし,ちょっと計算すればそれをサポートするようなことが実データから伺えます.次は,「種」を超えてもっと一般的な系での話をします.

 

 

 

(24)第7章pp.141-150

これまでの話では,個体群密度Nₖという1次元の情報だけで何故a, b, ln k(物理学的にはエンタルピー,温度,エントロピーに相当する量)という3次元の情報が生まれ,そこからさらに時間も出て来るのか,疑問に思われる方もおられるでしょう.そこで1次元C∞多様体で位相を(B, 𝒪)として考え,s ∈ Bとしましょう.映画 “OPPENHEIMER” にも登場するHans Betheは1次元格子モデルとしてBethe ansatzを考え,それが実際の量子多体系を上手く記述出来ることを見出しました.ここからの話はそれにインスパイアされたものです.そこでは構造を捉えるためのメガネとして位相を単位円,複素平面,リーマン球の三通り考えます.穴のない単純連結領域はそれらのうちの1つと必ず同型になるので,ここでのメガネとしてはその三通りで必要十分です.結果的には,単位円は12次元の系として今まで見てきたpやlなどのホモロジー/コホモロジー複素平面はR⁴として時間発展,リーマン球はR³ × R³として無限遠点をコンパクトにして完全形式を生み出し階層性を見るのに適しています.つまり,フラクタルとして個体の2つ上の階層(1つ上はメタ個体群)に「種」に相当する集団が自己を持つ系が出て来ることになります.位相は恣意的に捉えられた訳ではなく,元々の設定からその位相で明示されるような高次構造が創発されたのだと解釈する方が妥当でしょう.

 

さらに,合同ゼータ関数を用いると,そこで生まれた各階層の寄与が定量でき,マルチレベル選択の解析に適しています.また,ワイエルシュトラウスのペー関数からフラクタル次元s₁, s₂の間の相互作用も算出出来ます.詳しくは本書やプレプリントを参照して下さい.

 

こうしてホモロジー/コホモロジーなどの特徴量,時間発展,階層性,相互作用などが訂正的にも定量的にも適切に定義づけられ,システムの記述にsが適していることが予測されます.また,生物分類学は今は階層的分類がなされていますが,より現代的なリレーショナルデータモデルもこの系で定義がしやすくなりそうです.生物の分類においては,NoSQLなどはまだ先の話です.次に,最終章の説明をします.

 

 

 

(25)第8章

物理学の磁化モデルにおいては,臨界指数が特定の値になることが知られています.これをsの系に適用します.

 

ln PDᴺᵏ = ln P + (-1/b)(-Re(s)Nₖ) + i*Im(s)Nₖ/b

 

第一項,第二項,第三項に関する比熱,磁化,帯磁率の指数はリーマンζ関数の特定の非自明な零点の虚部の値を1/100にしたものに等しくなります.それぞれ非自明な零点に対応する素数として2, 13, 211に相当します.ここで13次元のものが2つあることを考慮し,自己相互作用のp=1を足せば和として240という値が出ます.この値をフックス型微分方程式の特性指数とすれば,#S = 26から26次元のヘテロティック弦理論の類似物または擬モンスターリー環が出来ます.詳しくはプレプリントをご参照下さい.また,100で割っているのを自己相互作用として10の2乗で割っていると考慮すれば,240/10 = 24で24次元の系ができ,これは24次元のマシュー方程式でRe(s) = 5の時で,先程の特性指数でn = 5と算出されることに一致します.このように,sの系は物理学的に捉えることも出来ます.

 

さらに,モジュラー関数を考えると,これは置換 (0, 1, ∞) → (1, ∞, 0) に相当し,sの系では観測物が観測者に,観測者が階層を超え,階層を超えたものが観測物になります.境界∂Bが∅の時はBが開かつ閉と同値でその世界の全てを含みますが,この境界を越えるのがこのモジュラー関数です.本書で「「空の境界」を超え」とあるのは,このことです.「空の境界」という言い方は数学では普通しませんが,奈須きのこの作品の題名に合わせてそう記述されています.その他にもp-シロー部分群は『Fate/stay night』の衛宮士郎に類似しているとか,マシューは『Fate/Grand Order』のキャラクターの名前に似ているとか,偶然はたくさんありますが,数学上の意味以上の意味はありません.シローは名前でなく名字ですし,マシューとマシュもちょっと違います.

 

詳細は省きますが,∇を適当なリー群の作用ln Nₖ/ln v (v = ln Nₖ/ln p)とすれば,短完全系列

 

0 → p → v → ∇ → 0

 

が成り立ち,フラクタル構造が成り立つとともにp, l, vがこの系の基本パラメータになります.ここで最大の散在型有限単純群はモンスター群であることから,どんなに大きな系でもせいぜいこれが境界∂Bが∅の時で,モジュラー関数はそれを超えた階層へ交信出来る関数に相当することになります.佐藤超関数でも同様のことは出来るでしょう.

 

ここまでの話は,貧栄養土壌の植生や砂浜の海洋性間質内メオ動物相,熱帯性岩礁海岸カタツムリなどにも適用出来ます.個体群密度の対数近似が成立し,適応度の指数関数的近似が成立し,プライス方程式が成立すればどこでも適用出来ます.一般性はかなりある筈です.

 

 

 

(26)おわりに

ここには「おわりに」のほぼ全文を投稿しておきます.

 

さて,これまでにいきものとは何かに始まって,いきものの集団である群れ,個体群,そして「種」について述べてきました.「種」は古くは17世紀の博物学者のジョン・レイの頃からいろいろな形で定義されて来ました.ダーウィンも「種」を進化論の根幹に置きましたが,彼は進化の過程について述べることに集中し,「種」そのものについてはあまり詳しく踏み込みませんでした.そこで「種」と進化の密接な関係を念頭に,「種」とは適応的な概念として,それぞれがほとんど同じ性質を持つために中立的な概念である個体群とは異なることを提唱しました.そして,「種」を適応・不適応な状態があって初めて見えるものとし,様々なゼータ関数や先端的な数論を使って一つの複素数としての指標から階層的な構造や時間的動態が生み出されるものであるという可能性を見てきました.そして,「種」やそれをさらにメタ化した概念からみる,自分たちの五感で認識できる世界とは異なる高次の世界の様子を「位相」をメガネに垣間見る方法についても考えてきました.生物のニッチと分類,それらの分類に従った数の時間的変化の情報だけで,実に様々なことが分かる可能性があることを述べてきました.いきもののもつ特質,「遺伝」と「自己」「他者」の区別,すなわちいきものの「構造」が,離散的になる性質をもった「種」を経験的に裏付ければ,「種」の問題への解答となります.それに対する可能性をみてきました.これがわかれば,いきものの適応などの「反応」についてもいろいろと演繹しやすくなります.いきものの「群れ」の場合は,同じような性質をもったものどうしが集まって生存に有利になると考えられますが,「種」はそれが極限にまで進んでタイムスケールの異なる新たな階層を創発したものと考えられます.

 

しかし,第6章以降のお話はまだ学説として定まったものではありません.研究のステップとしては,一般に (1) 観察例の蓄積,(2) 帰納による法則の導出,(3) 説明理論の構築,(4) 仮説演繹,(5) テストがありますが,ここでの話はどう考えても(3)の段階までしか進んでいません.(4)についてはさらに多くの解析事例を積み立てる必要がありますし,進化の話なので(5)を実行するのは難しいです.つまり,もっと詳しく知るには,さらなる研究が必要です.この本がいきもののかかわりあいのもつふしぎ,さらには「種」のふしぎについて,皆さんが考えてみるきっかけになれば,これに勝る喜びはありません.皆さんがいきものを観察し,これは何の「種」でどういう名前がついているのだろうと思うとき,この本に書かれていたことを思いだして納得したり,疑問に思ってさらに考えてみたりすることがあれば,この本にも意味が出てきます.皆さんの活動に,ヒトとヒト以外のいきものとの関わりの未来があります.かかわりあういきものたちと種のふしぎのお話は,これにて一件落着となります.

 

一応,高次生命科学専攻出身なので,高次生命現象に関わる研究をしてみました(「ハイヤーセルフ」とは何の関係もありません).高次生命現象として,物質としては見えないものを見る為のいろいろな工夫を見て来ました.26次元のモデルが出て来ましたが,期せずしてこの本の紹介も26項目に渡って行ったことになりました.それでは,みなさんさようなら.