ハロウィンとしての『君たちはどう生きるか』

宮崎駿監督のアニメ映画『君たちはどう生きるか』では,「下の世界」は元々宇宙からやって来た大きな建造物にその端を発し,様々な時間・空間での事象を結びつける扉がたくさんある.この建造物は時空間を超えた繋がりを生み出す仕掛けになっているらしい.

 

この設定が何に似ているかと言えば,ケルト文化のハロウィンである.ハロウィンは10/31の夜に「時の再生」を祈るケルトの祭りで,冬の最初の日である.キリスト教では「万聖節」だが,元々のケルト文化では「万霊節」であり,全ての霊魂を供養する日だ.ハロウィンでは異界への扉が開いて死者も生者も過去・現在・未来の時代を自由に行き交うことができ,それまでの365日の旧い時間が反転して新しい時間が再生する.これは『君たちはどう生きるか』での宇宙から来た建造物の特徴に他ならない.『君たちはどう生きるか』の主人公の眞人が出会う死んだ実母の少女時代であるヒミなどの存在も,それを反映しているように思える.ハロウィンでは此岸と彼岸の境目が破れて祖霊たちが蘇る.過去の世界から時を超えて現れたヒミも,眞人にとっては霊のようなものだ. 古代・中世ヨーロッパ文化圏では「時」とは「生命の時間」であり,それを支配できるのは世俗の人間ではなく霊となった人々である.『君たちはどう生きるか』での彼岸はそういう世界である.

 

殺生は現実世界での話で「下の世界」の住人はそれに関わることができない,つまり彼岸の世界であることが示されるが,「上の世界」の時を支配するのは「下の世界」である.大伯父が「下の世界」の均衡を保つことには,「上の世界」の均衡への影響を及ぼす意味もあると思われる.「下の世界」には、「我ヲ學ブ者ハ死ス」と刻まれている謎の墓の門があり,眞人は物語の中盤ですんでのところでキリコに助けられてその場を難なく凌ぐが,下層部にあるそれはおそらくこの不思議な世界の根源にある「何か得体の知れない深淵」であるのだろう.産まれる前の魂を食べてしまう老人的なペリカンの大群が押し寄せて来るのも,「現代社会における」現実世界での少子高齢化の社会の有り様よりももっと根源的な生物の生老病死と進化に関わる何かとそれが関わりがあるからであろう.

 

これをもっと突き詰めると,ユング心理学での死生観のようになる.ユングにおける死生観は2つのテーマ,即ち第一に個性化もしくは自己実現,第二に臨死体験や死後生である.

 

第一のテーマについて述べると,ユングは夢や幻覚や症状に現れるイメージに翻弄されずにそれらを直視して理解することで意識と無意識(元型,集合的無意識)を統合し自己活性化が促されるとした.『君たちはどう生きるか』での「下の世界」にはまさに夢の世界のような奇妙さがあり,「上の世界」での現実と統合されていく過程がストーリーとなっている.こうして古い自我は死に,ヒサコの死を受け入れナツコと和解した新しい自我が再生される.ユングは死を無に帰する過程ではなく生の達成,人格の達成であるともしているが,これこそがヒミの生死の持つ意味である.このことにより,ヒミのいなくなった後の世界でのヒミという存在の「第二の誕生」が起こる.

 

第二のテーマ,臨死体験や死後生については,『君たちはどう生きるか』では大伯父の存在に例えることが出来る.ユング心筋梗塞の際の臨死体験で地球を見つめるビジョン,全てが脱落するビジョンを体験したというが,それはまさに大伯父のそれまでの行為や,「下の世界」の崩壊に準えられる.眞人の個性化と共に,大伯父の消滅時の体験がそこから伺える.

 

これらのことから,「我ヲ學ブ者ハ死ス」とは言っても,そこから新たな誕生が齎されることが予想される.こうして死が新たな異なる生の誕生を促し,生命は進化して行く.

 

ケルトの文化では時計が時を再生させるためのものと解釈されている.時の流れを超えた物語として,『君たちはどう生きるか』という映画の存在がある.この映画はスルメのように噛めば噛むほど多様な味わいがいろいろと出てくる.