「春望」を読む

国 破 山 河 在
国破れて山河在り
くにやぶれてさんがあり

城 春 草 木 深
城春にして草木深し
しろはるにしてそうもくふかし

感 時 花 濺 涙
時に感じては花にも涙を濺ぎ
ときにかんじてははなにもなみだをそそぎ

恨 別 鳥 驚 心
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
わかれをうらんではとりにもこころをおどろかす

 

烽 火 連 三 月
烽火三月に連なり
ほうかさんげつにつらなり

家 書 抵 万 金
家書万金に抵たる
かしょばんきんにあたる

白 頭 掻 更 短
白頭掻けば更に短く
はくとうかけばさらにみじかく

渾 欲 不 勝 簪
渾べて簪に勝へざらんと欲す
すべてしんにたへざらんとほっす

 

 

杜甫の『春望』を書き下し文として体験し,まず日本語の書き下し文としても原文の持つリズムがかなり保たれていることに驚いた.その音としての美しさが詩に対する愛着の取っ掛かりとなった.そして意味を考察して行くと,「国破れて山河あり」という言葉が,夢が破れて失意の内に帰郷しても郷里の自然は変わらず残されていてあはれの気持ちを呼び起こした自分に重なり,次の「城春にして草木深し」でその自然観が拡張される.春なら日本では新年度の始まりだが,自分がどういう状態でも必ず訪れる新年度と新たなる旅立ちに心を動かされる.その時の不安定な心情が「時に感じては花にも涙を濺ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」である.状況の表現が徐々に拡張していることが分かる.そういう不安定な気持ちは自分だけではなく世の中全般にあり,それが「烽火三月に連なり 家書万金に抵る」である.そして,「白頭掻けば更に短かし 渾べて簪に勝えざらんと欲す」で自己卑下をし,少しコミカルな描写で明日へ生きる気持ちをまた持たせようとしている.この短い詩の中で,如何に多くのことが描写されているかが分かる.

 

杜甫の不安定な身分は自分や今の日本の民衆とも共通することがあり,大いに共感出来る.後で中国語の発音として聞くと,そのリズムや韻の踏み方で,意味だけでなく詩の形式としても完成されていることに驚く.それも詩の魅力をふんだんに増加させている.ここで振り返って見ると,この詩自体は漢文の授業の時に習っていたが,実際に杜甫と似たような体験をしたのは成人になってからである.将来起こり得る行く末を杜甫はこの詩で提示し,そういう気持ちを「笑い」などで耐え得る素地を予め作っておいてくれたこの詩の按配は驚嘆出来るものである.