「猫の死骸」評

海綿(かいめん)のやうな景色(けしき)のなかで

しつとりと水氣(すゐき)にふくらんでゐる。

どこにも人畜(じんちく)のすがたは見えず

へんにかなしげなる水車(すゐしや)が泣(な)いてゐるやうす。

さうして朦朧(もうろ)とした柳(やなぎ)のかげから

やさしい待(まち)びとのすがたが見(み)えるよ。

うすい肩(かた)かけにからだをつつみ

びれいな瓦斯體(がすたい)の衣裳をひきづり

しづかに心靈(しんれい)のやうにさまよつてゐる

ああ 浦(うら) さびしい女(をんな)!

「あなた いつも遲いのね」

ぼくらは過去(くわこ)もない未來(みらい)もない

さうして現實のものから消(き)えてしまつた。……

浦(うら)!

このへんてこに見(み)える景色(けしき)のなかへ

泥猫(どろねこ)の死骸(しがい)を埋(うづ)めておやりよ 

 

萩原朔太郎1924年の詩「猫の死骸」ではテクストのイメージを介した詩的空間の多層性や多声性が焦点となっている.「海綿のやうな景色」と「しつとりと水気に膨らんで」で未だかたちを成さないある景色の感触を表し,「朦朧とした柳のかげから」と「やさしい待びとのすがた」と「見えるよ」と「心靈」で幽霊が連想され,「から」の方向性が混乱して距離感が崩壊する.「うすい肩かけ」,「瓦斯體の衣装」,「あなた いつも遅いのね」,「ぼくら」,「過去もない未來もない」,「現實のものから消えて」で現在の特定が出来ない滞った時間の中で正体不明の「泥猫」に対する「このへんてこに見える景色のなかへ 泥猫の死骸を埋めておやりよ」という語句で結ばれる.要素は未決定で不確実であり,かつ確かに「あるもの」が感じられる.多義性を放つことばが曖昧性を確固たるものとして現実のものとの照応を拒むという意味で詩的である.「猫の死骸」は解釈が読者に向けて開かれた詩でもある.語り手のことばは心内言語のように半透明で,時間も無効化され溜まっている.それは子宮内環境のようでもあり,静謐・親密・均質・孤独である.生死を両方とも扱い,死とエロティシズムが表されている.女の「浦」はエドガー・アラン・ポーの “Ulalume” という詩に起因し,子宮のイメージを呼び起こさせる.「浦」はまたモーリス・ドニポール・デルヴォーの描く世紀末象徴主義の宿命の女のイメージにも繋がる.テクストは次々と新たなイメージを呼び起こして意味が重なり合い,重なりながらずれて行って共振し,そのかたちを崩しながら開かれて行くという意味で詩的である.