トーニオ・クレーガー

トーマス・マン『トーニオ・クレーガー』に関して簡単にまとめました.

 

ハムレット』との類似点

ハムレットデンマークの王子だが,トーニオ・クレーガーも作中でデンマークへ旅行することにする.それはハムレットの城だと伝わるクロンボー城を訪問することが一応の動機とされるが,リザヴェータの詮索により帰郷を兼ねていることが発覚する.これは作者やドイツ文学とシェイクスピアの『ハムレット』との文芸的関わりをもメタに表現している.作中でトーニオ・クレーガーは実家から十年以上も前に他界した父親が現れて叱責するのではという感覚を抱くが,これは『ハムレット』中の父の亡霊に会うハムレットに擬えられる.市民的な父親に対する芸術的な母親の「南方」要素を呪詛するのも,『ハムレット』の王妃ガートルードへの報復感情に擬えられる.これらの実体なきものの対立,そして実家が国民図書館に変貌し,「文芸」こそが帰るべき故郷となったトーニオ・クレーガーの「芸術家小説」としての本作を体現している.

 

ハンス・ハンゼンとインゲボルク・ホルムの類型化

主人公が恋心を懐いたハンス・ハンゼンとインゲボルク・ホルムの類型は,彼らとよく似たカップルとして第8章で現れるが,これは語り手が人物を類型に従って観察する為である.ハンス・ハンゼンは単純な,生きる喜びに溢れた「生の申し子」,市民的で平凡な存在として,インゲボルク・ホルムは同性愛を通過して異性愛へと至る過程で市民的・家族的,健康優良児としての女性として恋愛の対象となり,共に市民性との融和を表象している.

 

海の描写

トーニオ・クレーガーは海上で執拗な自己省察や自己譴責から不意に解き放たれるが,これは1つは海上交易で財を成したクレーガー家の末裔としての彼が海に惹かれることを投影している.もう1つは,海は実家という「あるべき場所」の投影でもあり,そこに故郷を発見し,父親の亡霊を連れ出したことになる.その海に寄せる詩は完成しないが,作品中の海に関する散文は海の多様で豊かな諸行無常の表情を描き出している.文芸の海たるここでトーニオ・クレーガーは作家として新たな生を受ける.『トーニオ・クレーガー』は主人公が自らの回生と現実獲得の為に書くことになる作品だが,その円環的構造は海の中にも見出せる.

 

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「西洋芸術の歴史と理論」の第6回目の講義では,中世における内在のアリストテレス主義的,スコラ哲学的なゴシック美術が扱われた.理論的にはシュジェールが愚かな意識を持つ衆生を真実に向け物質的なものを介して立ち昇らせる,即ち尖塔やステンドグラスとして表現していることが分かった.ドミニコ会修道院としてジャコバン修道院があり,フランス革命には大分先行しているのも興味を引いた.芸術はその背景を知らなくても鑑賞できるが,歴史と理論を知るとさらに深く知ることができる典型例だった.