ロボットと帝国

アイザック・アシモフ『ロボットと帝国』(早川書房)を読んだ.アシモフのロボットシリーズの長編第四作だ.

 

主人公はダニールとジスカルドのようだった.彼らは人間のことをいつも考えているようだった.ダニールとジスカルドの名前がセツラーという人類の間で増殖していた.また,人類はロボットに頼り切ると衰退するだろうということが出て来た.現代ならAIに頼り切るということだろう.短命で進化の速いr戦略的なセツラーと,長命で安定しているK戦略的なスペーサーとの対比も描かれていた.ファストルフ博士は双方に繁栄して欲しかったようだが,この物語ではセツラーのみが繁栄することになる.

 

どの程度の違いまでを仲間とするかで,人間かそうでないかの区別が行われていた.さらに,地球が放射線まみれになる理由も語られていた.大衆の心理に少しの操作で大きな影響を与える扇動のようなことも出て来たが,これはヒトラーにも通じるかも知れない.そういった意味で,ヒトラーの登場を予言したかのようなトクヴィルは原初の心理歴史学者と言えるかも知れない.

 

ロボット工学三原則が不完全であることが示唆され,ダニールはベイリの今際の際の台詞,

 

「人類ひとりひとりの仕事は人類全体に貢献しているんだよ,だからそれは全体の一部となって永遠に消えることはない.その全体は-過去も現在も,そして未来も-何万年となく一枚の綴織を織りなしてきた,そいつはしだいに精緻になって,おおむね美しくなった.スペーサーだって,そのタピストリーの一部なんだぞ,そしてやつらだってタピストリーの模様を精緻に美しくしてきたんだ.個人の生命はタピストリーの一本の糸だよ,全体に比べたら,たかが一本の糸,そんなものがどうだというのだ?

ダニール,きみはこのタピストリーのことだけをしっかり考えろ,そして一本の糸が消えるぐらいで動揺しないようにな,他にたくさんの糸があるんだ,それぞれ貴重で,立派な役割を果たし-」

 

を元に,第零法則「ロボットは人類に危害を加えてはならない.また危険を看過することによって,人類に危害を及ぼしてはならない.」ということを導き出した.ただし,ジスカルドとの議論の中で人類という抽象概念に対する問題から,人類の具体化が必要となったことが語られた.個人という確実な対象と,集団という不確実な対象の違いである.しかし,これも粗視化のスケールを変えることで,集団が個別に確実性をもって考えられることも出て来た.アシモフはこの辺りのことをよく分かっていると思う.

 

また,第零法則がロボット工学三原則第一条の修正として出てくることもよく出来ている.まず集団が存在し,その中に当てはまるように個人が存在するのではなく,まず個人があり,その間の相互作用から集団が生まれるということである.例えば,囚人のジレンマ的状況を考えると,個人が自己の利益のみを追求すると,全体の利益は損なわれる.ただし,量子ゲーム理論では量子もつれを考慮することにより,全体の利益が最適になる解が選ばれる.量子力学でもないのに量子もつれとは何だよと思われるかも知れないが,一方の行動がもう一方の行動にも影響を与える何らかの関係性があれば,そうなるということである.そういった意味で集団が生まれる.こう考えると,ソラリアの人類が孤立するのは集団としてよくない解にトラップされる可能性が高くなり,危険な状態であることも理解出来る.

 

人類という「種」をどう捉えるかという問題にもなるが,世の中には「種」などないという人もいる.ただ,そう考えると系統樹上は隔たった2「種」の分布が地理的勾配に従ってそうなっているようには見えなかったり,それぞれ1「種」のみが分布しているところでは同じような形質なのに2「種」が分布するところでは異なる形質に分化したり,雑種細胞の中で片親の染色体のみが脱落する現象を上手く説明することが出来ない.「種」が無ければ説明出来ない事象が却って増えてしまうというのは,あまりよろしくない.何らかの「種」が存在するとした上で,それをどう捉えるかという議論の方が望ましい.

 

「種」に関しては,次の本に纏めた.

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CMQ5ZXJS

 

次からは「トランターもの」になる.