ティラン・ロ・ブラン

ジュアノット・マルトゥレイ『ティラン・ロ・ブラン』について文章3つを書いてみました.

 

ティランの足跡

ティランはイングランドのある領主とブルターニュ公の娘の間に生まれ,イングランドで騎士として修養を積み,フランスの王子と共にポルトガル経由で地中海に入ってエルサレムを目指した.その途中,トルコとエジプトのスルタンからロードス島を奪還し,シチリア島に寄った.アレクサンドリアではイスラームの奴隷のキリスト教徒を解放した.そしてコンスタンティノポリス皇帝に請われてトルコのイスラームと戦い,皇女カルマジーナと恋に落ちた.北アフリカを転戦してイスラームと戦い,捕虜になるがイスラーム側からは重用される.その後コンスタンティノポリスに帰還し皇女と結婚して帝国の後継者に指名されるが,遠征の途上で病により急死し,皇女も後を追うように死ぬ.

 

カルマジーナと出会う前後のティランの変化

冷静,不動で怜悧,配慮のある模範的騎士から皇女に心を奪われ,悶え苦しんで終始葛藤する愛の奴隷となった.

 

『ティラン・ロ・ブラン』での古代思想の15世紀への甦り

バレンシア語の『クリアルとグエルファ』(15C半ば)は騎士の愛と冒険をテーマとしつつ写実的な社会を描いているという点で『ティラン』と類似性がある.『ティラン』にはカタルーニャ語カスティーリャ語,イタリア語,ラテン語などの文芸や思想,イングランドの文学との融合が含まれている.例えばティランに騎士道を教えるウォーウィック伯ウィリアムは中英語の詩『ウォリックのガイ』(1300年頃)から取られている.そしてその教えはカタルーニャのラモン・リュイ『騎士道の書』(1270年代)からの引用である.恋する男女の描写はボッカッチョからである.最も重要なのはカタルーニャの中世年代記『ラモン・ムンタネーの年代記』(1325-28年)のルジェ・ダ・フローという戦士がティランのモデルとなったということである.また,ティランの捕虜のイスラーム賢者アブダラー・ソロモンの演説は古代ギリシア・ローマ文人の引用である.