今道友信『西洋哲学史』(講談社学術文庫)

pp. 265-266より

 

十七世紀の大学

ただ, ここで考えてみなければならないことは, ヴォルフ学派が当時大学で人気があったのは, 常識の合理化というわかりやすさのためだからなのです. 十七世紀はヨーロッパにおいて大学が少し衰えた時期だと考えなければなりません. 中世のときにお話いたしましたように, 大学はあのころ真理を探求する運動の中心であり, 国際的な研究所でもございました. しかし, 十六, 七世紀になってヨーロッパのいわゆる近代国家が少しずつ基礎を固めてまいりますと, 大学は国家の中に位置し, 国家に支えられる機関に変わってまいりました. それとともに国王や教会の権力の介入に対して, 昔の大学のもっていたあの自由さがなくなってきました. それかあらぬか, この十七世紀の偉大な哲学者たち, たとえばいままでに述べましたデカルトも, パスカルも, スピノーザも, ライプニッツも, 十三世紀の偉大な哲学者が大学教授であったのに対して, みな大学の教授ではありません. デカルトは, スウェーデンの女王さまの家庭教師になりましたし, スピノーザはお話ししましたようにレンズ磨きをする, それからライプニッツは全ヨーロッパの知的な中心地をつくろうとしてアカデミー, 学士院をつくろうとする. それからこのあとにお話しします英国のジョン・ロックも, 私の知るかぎりけっして大学の教授になったことはございませんでした.

 これをみてもわかりますように, あの常識的で平俗なヴォルフ学派が大学で人気があったということは, 逆にいえば大学はその当時, 大事な研究機関ではなくなっていたのではないかということになります. もちろんそこにも秀れた学生が輩出して, また次の世紀にいろいろなはたらきをするという可能性はございますので, この世紀の大学がいちがいに無益なものであったといっているのではございません. ただ, 大学は, それが国立であれ私立であれ, あるいは公立であれ, それを支えてくれるものに指導されてはならないということを, ここではっきりと認めておきませんと, 大学自体が真理の探求から遠いものになってしまう恐れがございます.

 私は, 日本の大学の最近の在り方に疑問をもっておりますが, 大学が学の自由を失わぬよう, 謙虚な, しかし, 純粋な精神で研究にはげむ人びとの集団であることを, 権力介入の座でないことを, のぞんでやみません. 大学教育は学問研究を通じてしかできません.

 

 

1987年の弁.