『サルガッソーの広い海』評

ジーン・リース『サルガッソーの広い海』について短い評論を書いてみました.

 

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『サルガッソーの広い海』の主な登場人物は,主人公の白人クレオール女性のアントワネット,その母の白人クレオール女性アネッタ,弟で白人クレオール男性の障害児ピエール,義父の白人男性メイソン,アントワネットの夫で白人男性のロチェスター,乳母の黒人女性クリストフィーヌ,友人の黒人女性ティア,異母弟を名乗る混血男性のダニエルである.人種・民族の違いから見ると,イギリス生まれの白人であるメイソンやロチェスターは明らかに植民地支配者的な,現地のドミニカの人間の性質や風習に対する無知を知らしめる.特にメイソンは奴隷解放が起こり市場経済となったが,奴隷の代わりを黒人でなく東インドから調達しようとするなど,黒人を無視した行動を取ろうとする.一方,黒人や混血児であるクリストフィーヌやティア,ダニエルは目上の白人や白人クレオールに対して面従腹背し,金銭目当てで怪しげな土着の魔術を行なったりする.白人クレオールのアントワネットやアネッタは両者の板挟みにあって精神を病んでいくという構図が浮かび上がる.特にアントワネットのアイデンティティは白人側と黒人側で揺れ動き,ティアとの別れのシーンでそれらが引き裂かれつつあることが示される.ピエールはそういう争いの犠牲者である.性差から見ると,男性であるメイソンやロチェスター,ダニエルはこの時代の人らしく立身出世のことを軸にものを考えている.一方,女性であるアントワネット,アネッタ,クリストフィーヌ,ティアは自分たちだけのことだけではなく何とか異民族の人たちとの融和を図ってもいるが,事態をどうすることも出来ない.そういった人種・民族や性差のステレオタイプが各人に割り当てられ,複雑な人間関係を構成している.物語上は弱者であるピエールが先ず血祭りにあげられ,次いでアネッタが精神を病んで亡くなり,最後にアントワネットは夫から執拗に「バーサ」と呼ばれることで病みを深めて自宅に放火し,その一生を終える.これがシャーロット・ブロンテジェイン・エア』の伏線となる形をとる.『ジェイン・エア』の「屋根裏部屋の狂女」はスピヴァクによれば「帝国主義の公理によって生み出された人物」であり,『ジェイン・エア』のハッピーエンドの裏にはこういった虐げられた人物の物語があったことを『ジェイン・エア』のストーリーの土台として付け加える.支配者側からすれば狂的,非理性的,野蛮,動物的なものは,全て支配者側と被支配者側との文化の差異が齎すものである.『サルガッソーの広い海』と『ジェイン・エア』の主人公には類似した描写があるが,その結末は帝国主義の関与により全く正反対のものになる.