『妖精の女王 第I巻』まとめ

エドマンド・スペンサー『妖精の女王 第I巻』についてまとめてみました.

 

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まず,ユーナの両親の救出を目的とすることには,アダムとイヴ以来の原罪を抱えた人類の堕落と救済というテーマが寓意となって現れている.これは赤十字の騎士を聖ゲオルギウスやイエスに準えるものである.そして,赤十字の騎士に関わる2人の女性が,騎士の受難と救済をそれぞれ寓意している.『ヨハネの黙示録』によれば人類を堕落させる「バビロンの大淫婦」が現れるが,その象徴としてこの物語ではデュエッサ(虚偽)が現れる.一方,ユーナは「太陽をまとった女」や「花嫁」の象徴として,真理や真の信仰を現している.これは宗教改革時代のローマ・カトリック教会英国国教会をそれぞれ象徴していると見ることで,現実との繋がりが生まれる.つまり,人類の救済と国教会の確立を謳った詩だと解釈出来る.一方,騎士の受難は人類の堕落と成長の過程を寓意し,初期に見られる騎士の精神的・道徳的弱さは一人間として見られるものであり,それが「迷いの森」となって象徴される.これはダンテ『神曲』の冒頭の森を想起させるものである.騎士には過信があり,それが魔法使いアーキメイゴー(偽善)につけ入られてユーナと一時的に仲違いする原因となる.過信を抱えて立ち向かう女王ルシフェラ(高慢)や巨人オーゴリオー(誇り),「絶望」は自らの内なる弱さを象徴し,それらを克服していくことが暗示される.そして自らの非力と罪深さに絶望し,神の慈悲に縋る謙虚な姿勢へと変化して行く.そこへユーナに頼まれた若きアーサーが助けに来る天運の運びとなる.最終的に,騎士は竜からユーナの両親を救出して目的を果たす.その成長譚と結実を描いたのがこの物語である.こういった視点に立つと,物語の初めの妖精の女王グロリアーナの祝宴の席が当時のイングランドを表し,カトリック教会の暴政が国教会より訴えられることになる.騎士は田舎者風なので,主人公がまだ世間知らずであることを表す.その場に居合わせた者の中で具足が最も似合ったということは,目的を達成出来る素質が最もあったことを表す.それは第1篇の怪獣との戦いで裏付けられる.第2篇で騎士は十字軍よろしく異教徒サンズフォイを倒すが,アーキメイゴーの策略でユーナと別れてデュエッサと共にあることを望み,国教会は危機に陥る.偽善の庵では何も上手く行かないことが寓意される.第3篇でユーナはライオンに助けられ,真の信仰には常にそれを支える人々がいることが表される.異教徒サンズロイは騎士に化けたアーキメイゴーを殺しかけるというように真の信仰にない者は仲違いしているが,そのサンズロイはライオンを殺してユーナを拉致し,国教会は再び危機に陥る.第4篇で騎士はルシフェラの館へ向かい,高慢に陥る.第5篇で騎士は異教徒サンズジョイを倒すが,騎士に隠れてデュエッサはサンズジョイを地獄に連れて行って治療してもらい,不実なカトリック教会が寓意されている.第6篇でサンズロイはユーナに手を出そうとするが,森の神々やサー・サティレインが助けに現れ,真の信仰には常にそれを支える人々がいることが表される.ユーナは逃げ出すことに成功する.第7篇では騎士はデュエッサの謀略で気力が衰え,巨人に囚われる.カトリックの下では何も上手く行かないことが寓意される.第8篇ではユーナの訴えを聴いたアーサーが巨人たちを破ってデュエッサは逃げ出す.第9篇ではアーサーと妖精の女王との関係が語られ,エリザベス1世の統治が称揚され,ユーナは「絶望」から騎士を救い,真の信仰が共にあると絶望に沈むことはないことが表される.第10篇で騎士はシーリアの神聖の館の下において成長し,英国の守護聖人聖ジョージ(ゲオルギウス)となることが予言される.キリスト教が人の成長を助けることが示唆される.第11篇では騎士がユーナの助力の下で竜を倒し,目的を達成する.第12篇で騎士とユーナは結ばれ,アーキメイゴーも捕らえられる.だが,騎士は妖精の女王の下へ戻ってさらなる冒険に旅立ち,使命には終わりのないことが表される.