精神分析批評

精神分析批評について短文4つを書いてみました.

 

ポー『盗まれた手紙』に関するラカンの解釈

デュパンによるD大臣からの手紙の奪還は最初の王妃からのD大臣による盗みの場面を正確に反復している.何も見ていない視線は王と警察,その何も見ていないことを見ている視線が王妃とD大臣,その両方を見ている視線がD大臣とデュパンである.第二の視線が手紙の保持者となる.最初の盗みにより,立場の転換が行われる.手紙は浮遊するシニフィアンであり,これに関係する構造の変遷が物語構造となる.主体はシニフィアンにより無意識に決定される.

 

ギンズブルグ「徴候」の活かし方

ギンズブルグの推論的パラダイムとは,些細に見える細部を「無意識性を保持している記号」として捉え,それに対象の本質を明かすという役割を認める.それらの徴候を積み上げて大きな波を見出すことが出来る.

 

ハムレット』について

ロマン派的な性格劇としては,シュトレーゲルの言うような「復讐という大きな宿命を背負いながら,それを行動に移すことができず,代わりに瞑想にふけってしまうインテリ青年」を描く側面や,ハズリットの言うような「行動力が思考力に食われてしまった男」を描く側面がある.また,フロイトは『オイディプス王』との類似から父に取って代わって母を自分のものにしたいという構図を暗に意味しているとみなす.すなわち,ハムレットはクローディアスに自己を投影していることが逡巡の原因となるとするのである.ドーヴァーウイルソンやグレッグは全てはハムレットの妄想であるとする.アブラハムは『ハムレット』がオープンエンディングになっていることを指摘する.シュミットは執筆の歴史的背景がテキストに影響を与えているとする.

 

オイディプス王』の悲劇性

オイディプス王』には男児に普遍的な欲望を罪として無意識のうちに実行してしまうことにその現代にも共通な悲劇性がある.