ポストコロニアル批評

ポストコロニアル批評について短文5つを書いてみました.

 

イードオリエンタリズム』の「序説」要約

東洋については,政治的な「代表/代弁」と異文化の表現や描写における「現実の再提示」,その両方の意味における「東洋の表象」という視点がある.その視点からは西洋が描く「東洋」とは決して「存在」そのものではなく,西洋の眼から見て「東洋化」された虚構の産物であることが導かれる.そして,特にネガティブなイメージが強調される.つまりオリエンタリズムとは,オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋のスタイルである.

 

クッソー『敵あるいはフォー』でのロビンソン・クルーソーとフライデイの描写

クルーソーは島の生活でファラデーと満ち足りた生活を送り,イギリスに帰れずに死ぬ.ファラデーは失われた舌に象徴されるように周りとコミュニケーションが取れず,奴隷制を体現している.

 

グローバーリゼーションのプラス面とマイナス面

プラスの面としては,多様な文化や社会が均質化し,世界規模の時空間が圧縮して収斂し,同質化が進行することにより文化的に足らないものが埋まることがある.しかし,負の面としては過剰なものが付け加わり計算できない要素が開かれることがある.

 

トムリンソンとスティーガーのグローバリゼーション論の要約

トムリンソンはグローバリゼーションが複合的結合性であるとし,近代の社会生活を特徴づける相互結合性と相互依存性のネットワークの急速な発展と果てしない周密化を意味するとした.結合性とはある種の単一性で,統一性ではない.グローバリゼーションはまた多次元的で,文化もその重要な次元の一つである.スティーガーはグローバリゼーションが主として新しいタクノロジーによって媒介された経済現象であるという浅い概念ではなく,大局を眺めるようになることだとする.

 

『喪失の遺産』でのコロニアル,ポストコロニアル,グローバリゼーションについて

コロニアルについては植民地で西洋文化との接触が物真似やハイブリッド性を産むことがある.また,喪失や離別も産む.そのことを表現するのがポストコロニアルである.グローバリゼーションについては国際線の旅が挙げられ,グローバルな階級差が見受けられる.