自由権

文科省が故中曽根康弘元首相の合同葬に際して国立大に弔意を表明するよう要求した件は,強制では無いとのことですが,わざわざそういうことをする背景はいろいろ考えられます.前例があれば良いという訳ではありませんし,首相自身前例を打破すると言っているのにこの調子です.

 

そもそも「弔意」とは,「人の死をとむらい哀悼する心」(広辞苑第五版)とあるので,個人の内面に基づいて示されるものです.上から言われて形式上行われるものではありません.「弔意を表明するよう求める通知」とは日本語からしておかしい表現です.

 日本国憲法は第18条で奴隷的拘束および苦役からの自由,第19条で思想および良心の自由,第20条で信教の自由,政教分離,第21条で集会・結社・表現の自由,検閲の禁止,通信の秘密,第22条で居住・移転・職業選択の自由,外国移住・国籍離脱の自由,第23条で学問の自由を定めています.自由とは自己のあり方を自己の責任において決しうることなので,これらは基本的に個人のレベルに留まるものです.これをある社会的状態に拘束しようとするのは,全体主義の前触れです.他人の人権を害しない限り,個人の自由がある訳です.中曽根元首相に弔意を示さないことにより直接阻害される他人の人権など存在しようが無いので,個人の自由で弔意を示すとするのが普通の認識の筈です.そうしないでわざわざ通知を出すというのはその真意が問いただされるべきでしょう.