ハヤブサ

今日の放送大学の授業『世界文学の古典を読む』で取り上げられたのは,Geoffrey Chaucerの “The Canterbury Tales” だった.General Prologueに継ぐ “The Knight’s Tale” はその中でも特に評価が高く,2847-9行で “This world nys but a thurghfare ful of wo, And we been pilgrymes, passynge to and fro. Deeth is an ende of every worldly soore." (This world is nothing but a thoroughfare full of woe, And we are pilgrims, passing to and fro. Death is an end of every worldly pain.)「この世は単に悲しみに満ちた通り道.我々人間はそこを行き交う巡礼者.この世の苦しみはすべて死とともに終わりを告げる.」と,老獪なサトゥルヌスの策に運命を翻弄されたテーバイの二人の若者について表現されている.秩序の構築や維持への懐疑,冥界の力強さ,運命の不条理さ,排除されつつある女性の視点など,数々のテーマから考えて面白い.その直後に “The Miller’s Tale” が全てをぶち壊しているのも滑稽だ.

 

今回の講義で取り上げられなかった “The Squire’s Tale”(騎士の従者の話)では指輪でハヤブサと会話するCanaceの話が出てくるが,それと関連して思い出したのは昨日の2023年5月29日に自宅を出た所でハヤブサFalco peregrinusを見かけたことだ.最初はケリが騒いでいるのかと思ったが,飛んで来た所のシルエットがどう見てもハヤブサだった.ハヤブサは宇治の東の喜撰山で営巣をしているのは知っているが,宇治川を大きく越えた工場地帯の中にある自宅近くまで行動圏なのは知らなかった.三羽くらいいたようだが,今はちょうど雛が巣立ちするかしないかの頃らしく,親子で行動するらしい.あの有名な急降下を訓練して体得すれば,独り立ちとなるそうだ.喜撰山辺りは上位捕食者がいるのでそれなりに豊かな自然があると思われるが,余裕が出来れば土壌動物の調査などもしてみたい.文学的に有名なのはやはり喜撰法師で,百人一首の「わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり」である.辰巳は悪霊も善神も来る両義的な方位だと十二支ではされている.