Evolutionary Dynamics, 壁

どこかで灰羽連盟という文字列を久しぶりに見た記憶があるので, 2010年2月3-4日にかけて書いた以前のブログを復刻しておきます.

 

【追記】そう言えば, 望月新一先生が以前, こういうことをブログに書かれていたことを思い出しました.

 

https://plaza.rakuten.co.jp/shinichi0329/diary/201711140000/

https://plaza.rakuten.co.jp/shinichi0329/diary/201711210000/

 

海外在住経験のある方々の生の声だと思います.

 

*** 

 もう 1 月も終わりましたが、寒中お見舞い申し上げます。こ こ ヨ ー ロッ パ では 年 末 年 始 は 23 年 ぶり の 寒 波に 襲 わ れた と か で雪が積もって道が凍結したりもしたのですが、その後一時期 は暖かくなってきました。最近はまた少し寒くなってきました が 。 冬 羽 の Pied Wagtail が チ ョ コ チ ョ コ 歩 い て い た り し ます。

 

 研究の方はだんだんデータにストーリーが見出せる様になっ てきて、『灰羽連盟』というアニメを観始めたりもした。 1 月 26 日に第 1 話を観た翌日 27 日、夕刻いつものように広東料理 のテイクアウトを買い出しに行って戻って来たら、 QMC の玄 関で警官が大勢集まって大声で喚き散らしている人を取り押さ えていました。先日精神病棟から抜け出した人が夜に鉄パイプ を持って同僚を追いかける事件があったのですが、その人のよ うです。その後、研究室に戻って前日に仕掛けたブロッティン グの写真を現像するとエライことに。何だかとんでもない発見 をしたようです。次のフェローシップが始まるまでのあと二ヶ 月は前も言った様に依然無給で働くのですが、僕の今までの短 い 研 究 人 生 の 中 で 最も プ ロ ダ ク テ ィ ブ な期 間 と な り そ う で す。 まだ現象論のデータですが、上手くいっていない実験を何とか 進めてメカニズムに迫りたいところです。ですがフェローシッ プを貰っていた博士後期課程やリサーチアシスタントとして月 2 万 円 く ら い は 支 給 さ れ て い た 修 士 課 程 と は 違 っ て 無 給 な の で、待遇としては学部生並みです。今の一連の発見は単なるア

 

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マチュアサイエンティストの発見ということで、ネタのような 状況になってきたので、アニキの彼女さんみたいに「ウケる~ !」とか大声で笑いたいところです(ちなみに今僕が無給なの はエルリックさんのせいではありません)。夜中にはもちろん 『 灰 羽 連 盟 』 の 第 2 話 を 観 ま し た 。 こ う い う 状 況 が 不 遇 で あ る とか思われる方もおられるそうですが、僕は研究を主体に行動 し て い るの で 自分 の 生 存 に 支 障 を来 さ な い限 り 90 万 円と か 小 銭を稼げなくても何の問題もないですし、研究の遂行に対する 重大な障害とならない限り周りにどう思われるかは全く関係な い訳です。普通に生活出来て研究もいつもと変わらず続けられ ている訳ですから、僕個人としてははっきり言って何の問題も な い 訳 で す 。 結 果 が 出 れ ば 僕 の 判 断 は 正 し か っ た こ と に な り ます。

 

 『灰羽連盟』を見終えた翌日の 2 月 1 日はビザのアピールで バーミンガムへ。裁判官の女性の方は最初かなり怖かったので す が 、 僕 と は 関 係 ない と こ ろ で 内 務 省 の人 と 議 論 し た あ げ く、 最後はにこやかにアピールを認めて頂いて有難いことです。ど う や ら Lowly-skilled Worker で は な か っ た よ う で す 。 夕 方 からはバーミンガム大学に滞在中の KN さんと待ち合わせして いたのですが、その日は 5 時起きだったため眠くなって駅のス タバで仮眠をとりました。パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲 れたんだ。何だかとても眠いんだ。パトラッシュ・・・ランラ ラーランララーすーいんぐるすーいんぐるとかなりそうだった の で す が、 よ く考 え た ら 、 と い うか よ く 考え な く ても 27 日 に 出た実験結果はまだ僕の頭の中にあるだけで論文にもなってい な い し 、 第 一 町 中 の ス タ バ に 突 然 死 体 が 出 現 し た ら ち ょ ー 迷

 

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惑 。 と いう こ とで お 迎 え が く る のに は あ と 21 年 く ら い 待 っ て もらうことにしました。自分の使命を果たせないとシ骸になっ て そ こ ら辺 を ほっ つ き 歩 き 出 す とか い う 噂な の で 、あ と 21 年 以 内 に 自 分 の 担 当 範囲 の 使 命 を 何 と か 果た し た い と こ ろ で す。 もうあまり時間はありませんが。使命を果たしてもクリスタル になるだけなのですが、シ骸になって人様に迷惑をお掛けする くらいなら選択の余地はないでしょう。そう言えばイングラン ド で 一 番 小 さ い Cathedral で あ る バ ー ミ ン ガ ム の 聖 フ ィ リ ッ プ大聖堂にはクリスタル(水晶)の突き刺さった十字架があり ました。僕が死んだら臓器提供なり解剖なりに遺体を供与して 利用してもらおうと思っています。僕は自分の遺体の尊厳とか には興味がないので。ただ、他の人はそうでない人も大勢いる のでそれはもちろん尊重します。

 

 くだらない妄想はさておき、 KN さんはヨーロッパを楽しん で お ら れ る よ う で 何 よ り で す 。 Martin A. Nowak 『 Evolutionary Dynamics 』 、 読 み ま し た 。 内 容 は 「 生 命 は細胞から生態系にまで及ぶスケールで、外界と様々に相互作 用 し な が ら 生 存 し て い る 。 今 日 見 ら れ る 全 て の 生 物 シ ス テ ム は、進化の結果生じてきた。進化は様々な要素が相互作用しな がら発展する動的なプロセスであり、そのダイナミクスを生み 出す仕組みを知ることが進化の関わる現象を理解することにな る。数学は関係性を記述して構造を理解する特質をもつ。微分 方程式や確率過程によって進化の動的なプロセスを表現し、現 象 の 本 質 を 理 解 す る こ と が 可 能 で あ る 。 ( Amazon よ り ) 」

 

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というものです。翻訳版も出ているので英語の苦手な方はそち らを参照して下さい。

 

 内容は理論の部分は非常にシンプルで適確に纏まっていて大 変 読 み や す い で す 。 た だ こ れ は H で の 理 論 系 の 人 の 意 見 で す が、理論に寄りすぎていて実際の生物との乖離が激しいとのこ とです。確かに生物学への応用を述べているところではそうい う 傾 向 が 見 ら れ た の で 、 後 で 実 例 を 挙 げ て 述 べ よ う と 思 い ま す。上田泰己先生は「新しい生物的機能をデザインしたり構築 する構成的手法は似て非なるものを作り出してしまうおそれが あ る 。 」 と い う よ う な こ と を Twitter 上 で つ ぶ や い て お ら れ ましたが、これも構成生物学とは違いますがまあ理論系の人が 陥りやすい落とし穴だと思います。

 

生物の増殖を表す式の形には微分方程式で表す方法

 

dx/dt = rx(1-x/K) 、 x は個体数、 r は増加率、 K は環境収容 力

 

と漸化式で表す方法

 

Xt+1 = aXt(1-Xt/K)

 

があります。この場合、 a=1+r の関係があります。

 

漸 化 式 で 表 し た 場 合 で K=1 と し た 時 の こ と を 考 え る と 、 生 物 学的に意味がある( x =0となる)のは 0 ≤x ≤1で 0 ≤a ≤4

 

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の 時 と な り ま す 。 0 ≤a ≤1 の 時 は x が 安 定 す る の は x=0 の 時、 1 < a ≤3なら x=(a-1)/a の時、 3 < a ≤4なら x は振動し ます。このように簡単な式でもパラメーターの値に依って挙動 が大きく異なってきます。

 

二者が競争していると、

 

dx/dt = ax, dy/dt = by

 

なら

 

x/y = ρ0e^(a-b)t

 

と な り ます 。 a>b な ら x が、 a < b な ら y が 当然 の よ うに 選 択 的 に 増 え ま す が 、 実 際 の 環 境 で は (a-b) = ±ε と な っ て 僅 か の差で x が優位になったり y が優位になったりするのを繰り返 すことも多いのでしょうので、挙動の予測は一挙に難しくなる でしょう。 Nowak さんの本ではそこまで書いていませんが。

 

上の式は一般的には n 者の競争系として

 

dxi/dt = xi(fi- ), i = 1, ···, n, ∑ xi = 1, ∑ dxi/dt =

 

0, fi は xi の適応度、

 

は平均適応度

 

 

となるようにゼロサムが仮定されています。

 

dx/dt = ax^c- x, dy/dt = by^c- x 336

 

 

 

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というように増殖速度が個体数に必ずしも比例しないと考える と( c に注意)、

 

dx/dt = x(1-x)f(x), f(x) = ax^(c-1)-b(1-x)^(c-1)

 

と な り 、 c<1 な ら x = 0, 1 の 時 不 安 定 、 x = 1/(1+(b/a)^(1/ (c-1))) が 安 定 、 c>1 な ら そ れ が 逆 転 し ま す 。 つ ま り c<1 な ら a>b で も x と y が 共存 す る場 合 があ る とい う こと で す。 c>1 は 個体同士が出会う確率が関与するなどの事柄を模していると思 わ れ ま す 。 こ の 場 合 は a>b で も x<1/(1+(b/a)^(1/(c-1))) な ら y の み に な って し ま う こ と が あ る と いう こ と で す 。 ち な み に c = 0 は 完 全 に 移 入 の み で 個 体 数 が 増 え る 時 で す 。 こ の よ う に 、 数 式 で 物 を 考 え る と 現 実 と の 突 き 合 わ せ は も ち ろ ん 必 要 で す が、いろいろ面白い挙動が予測できます。

 

変異のマトリックスまでモデルに組み込むと、

 

 

dx/dt = ∑j xi ·fj Qji -f

 

 

(x) xj, (x) = ∑fi ·xi,

 

∑ xi = 1, Qji は変異行列

 

となります。この場合の x の平衡点は平均適応度が最も高くな る 場 合と は 限り ま せん 。 W = [wji] = [fj ·qji] とお い て適 応 度のベクトルと変異行列を統合すれば、

 

xW = x, x はベクトル

 

 

と な り 、 平 均 適 応 度

 

 

が 固 有 値 と な る 一 次 変 換 が W と な り ま

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す 。 x は W の 固 有 ベ ク ト ル と な り 、 線 型 代 数 学 の 問 題 と な り ます。

 

また、ゲノム上で適応度に関係のある(これが重要)塩基配列 の 長 さ が L の x0 が 何 ら か の 変 異 ( 変 異 率 u ) を 起 こ す と す る と、

 

dx0/dt = x0[f0 ·q -1-x0(f0-1)], q = (1-u)^L

 

となります。 f0 ·q >1 なら x0 は (f0 ·q -1)/(f0-1) に収束 し、そうでなければ 0 となるので、個体がアイデンティティを 保 っ て 増 殖 す る に は f0 ·q >1 ( お お よ そ u<1/L ) で あ る 必 要があり、実際適応度を考慮せずにゲノム全体の突然変異率と ゲノム長で計算しても一部ウイルスを除いたほとんど全ての生 物に当てはまります。

 

  2 者 A 、 B が競争している時は

 

dx/dt = x(1-x)[fA(x)-fB(x)] 、 xA + xB = 1, xA = x

 

と 表 せ ま す が 、 こ の 時 fA(0) < fB(0) な ら x = 0 が 安 定 、 fA(1) > fb(1) なら x = 1 が安定、 f ’ A(x*) < f ’ B(x*) なら x* が 安 定 と な り ま す 。 A と A が 競 争 し て い る 時 は a の 報 酬 、 A と B が 競 争 し て いる 時 A は b の 報 酬 、 B は c の報 酬 、 B と B が競争している時 B は d の報酬を受けるとすると、

 

dx/dt = x(1-x)[(a-b-c+d)x+(b-d)]

 

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と な り ます 。 a ≥cで b ≥dな ら A が 優 占 ( た だ し どち ら か 一 方 は 不 等 号 ) 、 a ≤cで b ≤ dな ら B が 優 占 ( た だ し ど ち ら か 一 方 は 不 等 号 ) 、 a>c で b < d な ら 値 (d-b)/(a-b-c+d) を 境 に 値 が小 さ い 時 は B が 優 占 、 大 き い 時 は A が優占します。 a < c で b>d な ら 値 (d-b)/(a-b-c+d) に 収 束 し 、 a=c で b=d な ら 二 者 は中立となります。映画『ビューティフル・マインド』でも登 場 し た ジ ョ ン ・ ナ ッ シ ュ の 名 を 採 っ た ナ ッ シ ュ 平 衡 と は A に と っ て は a ≥c、 B に と っ て は d ≥b の 時 で 、 A に と っ て a>c も し く は a=c か つ b>d な ら A は 進 化 的 に 安 定 な 戦 略 と い い ます。

  n 者の競争系のレプリケーター方程式は一般的に

 

dxi/dt = xi[fj(x)- f(x)], fi(x) = ∑j ·aij ·xj, (x) = ∑ fi(x)xi, ∑xi = 1

 

となります。 f1=f2= ···=fn な ら内部平衡があり、そうで なければ何かがゼロになります。解が縮重している時は安定な 内部平衡がある時もありますが、その解は漸近的に安定ではあ りません。ナッシュ平衡でも a>c などと表せる時や進化的に安 定 な 戦 略 な ら ど れ か 一 つ の 戦 略 の み が 漸 近 的 に 安 定 と な り ま す。こういった理論をゲーム理論と言います。

 

 ゲ ー ム 理 論 の 基 本 を 応 用 し た 「 囚 人 の ジ レ ン マ 」 の ゲームでは、囚人がお互いに罪を黙っていた場合はお互いに R の 利 益 を 、 自 分 が 白 状 し て 相 手 が 黙 っ て い れ ば 自 分 が T の 利 益を、相手は S の 利益を、お互いに罪を白状すればお互いに P の 利 益 を 得 る と す れば 、 T>R>P>S な ら 自 分 が 白 状 し て相 手 が 黙っていた場合は最大の利益を得ますが、お互いに罪を白状す れば利益は損なわれ、かと言って黙っていた場合に相手が白状 すれば自分にとって最悪の事態になり、お互いに黙っていれば ある程度の利益が得られるというものです。相手の出方によっ て 結 果 が 著 し く 異 な っ て く る ジ レ ン マ な 訳 で す 。 普 通 は R>(T+P)/2 の 場 合 、 つ ま り お 互 い に 黙 っ て い れ ば 得 ら れ る 利 益がある程度高い場合を考えます。相手の一回前の行動を記憶 で き か つ 相 手 の 行 動を 誤 っ て 解 釈 す る 場合 も あ る 様 に 設 定 し、 様々な戦略の者を混ぜてシミュレーションをすると、どこかの 漫画でも言われていたように常に黙って相手を助ける利他的戦 略は早々いなくなってしまい、ほとんど常に白状する利己的な 戦略が優占します。しかし時々は相手の前の行動と同じ行動を 取るものまね士戦略が反抗し始めます。この場合はものまね士 戦略に代わって直前の試行で相手が黙っていた場合は次も必ず 黙 り 、 相 手 が 白 状 し た 場 合 で も 1-(T-R)/(R-S) と (R-P)/(T-P) のどちらか小さい方の確率でまた黙るという、必ずではないに しろ「許し」を与える戦略が結局は勝ち残ります。これは間違 い が あ っ た 場 合 に もの ま ね 士 は そ れ を 修正 で き な い の に 対 し、 一部許しの戦略はそれを修正できるからです。

 

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  こ の シ ミ ュ レ ー シ ョ ン に さ ら に 100 回 の ゲ ー ム ご と に 新 し い戦略が加わるように操作を加えると、一部許しの戦略は常に 利他的な戦略に偶然置き換わってしまってまた戦略の争いの繰 り返しが始まってしまうのですが、そこからお互いに黙ってい たり白状したりした場合は次は黙り、どちらか一方が黙ってど ち ら か 一 方 が 白 状 し た 場 合 は 次 は 白 状 す る 戦 略 、 つ ま り 、 T や R など高い利益を得た場合はそのまま、 P や S など低い利益 を得た場合は行動を変える戦略が生き残ります。これは利己的 な戦略よりも強く間違いの修正もできる戦略です。新しい戦略 の移入がある場合は最終的にこれが優占します。

  つ ま り 一 部 許 し の 戦 略は 1-(T-R)/(R-S) と (R-P)/(T-P) を 計 算しないといけないので頭のいい人だけが救われる小乗仏教的 戦略で、新しい考え方が次々に産まれてくる状態では必ずしも 安 定 と は な り え な い と い う 訳 で す 。 56 億 7000 万 年 後 に 弥 勒 菩薩が降臨したのちは世界が救済されるので支配的になるのか も知れませんが。(←オミャーとーとー気ぃ狂ったか。)  一方の勝ったらそのまま、負けたら変える戦略は単純な大乗 仏教的戦略で、弥勒菩薩の降臨までは衆生はこの戦略を取って いた方がいいのかも知れません。ただ、このゲーム理論は利益 の値が常に一定だとか 1 回前の行動しか覚えられないとか非現 実的な仮定もしているので、現実の世界に即当てはめる訳には いかないと思います。

 上記の話は無限に大きい集団の話なので、有限の大きさの集 団を考えると、例えば常に利己的な集団とものまね士の戦略と の 間 で は N の 大 き さ ( N ç3) の 集 団 な ら {T(N+1)+P(N-2)- S(2N-1)}/(R-P)(N-2) 回以上試行を繰り返すとものまね士が利 己的な集団に大抵は打ち勝ちます。

 

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 ちなみにモラン過程のある表現型の固定の確率

 

 ρM = (1-1/r)/(1-1/r^n), r は相対的な適応度

 

を考慮すると、グラフで表せられるような構造の固定の確率ρ G が r>1 ( 正の 選 択 ) か つ ρG> ρM を 満 た す 時 は 選 択が 浮 動 よ り も 優 占 し 、 ρG<1 ( 負 の 選 択 ) な ら そ の 逆 で す 。 こ れ を 利用して産まれた個体がすぐ隣の個体を置き換えることを仮定 すると利己的戦略が固定する確率は利他的戦略が固定する確率 より常に高くなり、個体が死んだ後にすぐ隣の個体と同じ個体 がその場所を占めることを仮定すると b/c>k ( k 個体が一個体 に隣接)なら利他的戦略の固定確率の方が高くなり、各個体が 戦略をそのままにするか周りの個体の適応度に合わせてアップ デ ー ト す る こ と を 選 択 で き る よ う に す る と 、 b/c>k+2 な ら 利 他的戦略の固定確率の方が高くなるなど、いろいろなことが予 想されます。

 

 このようにゲーム理論では戦略の比率が扱えるので、僕が研 究中の生殖隔離に対する適応でも適応の様式の選択を考えるの に使えないかと妄想中です。研究のアイデアというのは思いつ い て か ら 実 行 す る ま で に 5 年 や 10 年 か か る も の も あ る の で 、 アイデアをできるだけ多くストックしておくことに越したこと はありません。

 

 ここまでの理論の話は理論としては面白いのですが、現実に 当 て は め る に は い ろ い ろ 問 題 が あ り ま す 。 例 え ば HIV の 話 で

 

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すが、 Nowak さんのモデルでは

 

dvi/dt = vi(r-pxi-qz), i = 1, ···, n,

vi は 株 i の 集 団 の大 き さ 、 xi は株 i に対 す る 特異 的 な 免疫 反 応 の強度、 z は全株に作用するクロスリアクティブな免疫反応 dxi = cvi-bxi-uv·xi, i = 1, ···, n

dz = kv-bz-uvz

 

と し て い て 、 xi は cvi/(b+uv) に 収 束 し 、 z は kv/(b+uv) に 収束し、さらに

 

dv/dt = v/(b+uv) · [rb-v(cpD+kq-ru)], D = ∑(vi/v)^2

 

となることを示しています。これらのことから kq+cp < ru な ら 一 部 の 人 の よ う に AIDS が す ぐ に 発 症 し 、 ru < kq な ら AIDS が 発 症 せ ず 、 kq < ru < kq+cp な ら 普 通 の 人 の 様 に AIDS が長い潜伏期間を経て発症することが示せる、としてい ま す 。 さ ら に ru < kq の 場 合 な ど を 考 慮 す る と SIV が 自 然 界 での宿主で AIDS を発症しないが他のサルでは AIDS を発症す る違いを説明できる、としています。確かに大変面白いモデル で は あ る の で す が 、僕 が こ れ を 読 ん で すぐ 疑 問 に 思 っ た の は、 「 全 株 に 作 用 す る クロ ス リ ア ク テ ィ ブ な免 疫 反 応 」 と い う のは 実 は HIV が 直 接 関 係 し て い る 獲 得 性 免 疫 の こ と で は な く 、 自 然免疫のことではないかということです。獲得性免疫はその生 物のもともとのゲノム情報に依るものではなく環境に合わせて 抗 体 の 遺 伝 子 な ど が 組 み 換 え を 起 こ し て 獲 得 さ れ る も の で 、 SIV が 自 然 界 で の 宿 主 で AIDS を 発 症 し な い が 他 の サ ル で は

 

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AIDS を発症する違いというようにその生物のもともとのゲノ ム情報に起因するかのように見えるような先天的なものではな いはずです。先天的なものは自然免疫であって、獲得性免疫と は 異 な り ま す 。 SIV の 話 を 自 然 免 疫 と 獲 得 免 疫 の 組 合 せ か ら 考 え る 研 究 は 調 べ てみ た と こ ろ 確 か に ある よ う で す 。 さ ら に、 ウイルスなどと同類であると思われている DNA 上の転移因子 であるトランスポゾンでは、種の違いによって転移の頻度が大 きく異なることが知られています。つまりいろいろな可能性が 考えられる訳で、 Nowak さんのモデルは「全株に作用するク ロスリアクティブな免疫反応」が実は自然免疫であったと読み 替えれば成り立たなくもないのですが、これを彼の原著論文の ようにセラピーにまで応用しようとなると、上記の式で獲得免 疫に相当する「特異的な免疫反応」と「全株に作用するクロス リアクティブな免疫反応」が全く別物であると考えられるにも 関わらず同じような係数の式で表さられているという非現実的 な仮定のために意味をなさなくなってしまいます。 Nowak さ ん は 著 書 の 中 で 「 こ の モ デ ル は misunderstand さ れ て い る が、現実を上手く説明できる」と述べられていますが、僕の考 えでは misunderstand しているのは自然免疫もしくはその他 のメカニズムと獲得免疫の違いがよく分かっていないように見 える Nowak さんの方ではないかと思います。この本の他の応 用例でもこのような非現実的な仮定が多く見られるので、これ は理論家の人が陥りやすい「似て非なる物」の典型例ではない かと思います。

 

  『 鋼 の 錬 金 術 師 』 で は 錬 金 術 の 基 本 は 「 理 解 ・ 分 解 ・ 再 構 築」であるとしています。これは科学にも当てはまって、理解

 

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が理論、分解が今の分子生物学のような個々の部品の機能を調 べる還元論的手法、再構築が生化学や構成生物学のような生命 現象を人工的に再構成して前二者の知見を確認することに対応 するものだと思われます。僕は構成的手法が全て間違っている とか、今の分子生物学の手法が全て間違っているとか言うつも り は あ り ま せ ん 。 これ ら 三 者 が 全 て 必 要だ と 思 い ま す 。 た だ、 これらのうちどれか一つでも欠如してしまうと、大きな過ちを 起 こ す こ と に な り か ね ま せ ん 。 Nowak さ ん の HIV の 話 は 理 論が突出したあまり還元論的手法の知見を無視した結果だと思 いますし、その他にも物理の大御所の人が大腸菌の複製の様式 を調べた時に、クローニング宿主という遺伝子工学で DNA を 増やすことに使われる株を使ったため、その宿主が DNA の複 製に関わる非常に有名な酵素の変異があるにも関わらず、今ま での報告と異なるということで大きな仕事をしたとして某有名 雑誌に論文が掲載されるということが起こるなど、還元論的手 法を無視した結果とんでもないことになることがよくあると思 います。生物学においても理論や構成的手法が重要であること は間違いないと思いますが、生物というのは人間が思っている ほど単純にはできていませんし、還元論的手法で調べていると 訳の分からないことになることも多々あります。ただ時が経て ば訳が分からなかったのは当時の人々の考え方の方で、生物の 原理は実際には自然の摂理に沿ったものであるということが明 らかになることが多いと思います。現段階の知見ではまだ理論 や構成的手法で調べるには難しい面も多々あるので、還元論的 手法の重要性は変わっていないと思います。さらに野外観察や 実験が絶対であることは間違いないでしょう。アインシュタイ ンも当時の考え方に全く合わない実験結果を絶対のものとする

 

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逆 転 の 発 想 で 特 殊 相 対 性 理 論 を 導 き 出 し た の で す か ら 。 理 論 家、還元論家、構成論家の間にはまだまだ壁がいろいろあると 思いますが、お互いがお互いの至らないところを蔑んで相手を 見下しているようでは何にもならないので、お互いの結果を尊 重し合う必要があると思います。相手を見下すような人でも専 門的な研究ができる人は数多くいると思いますが、まともな学 際的研究ができている人でそういう人は一人も見たことがあり ません。還元論の人もあまりにもそれに拘っているとスカーみ た い な こ と に な っ て ド リ ル の 右 腕 を 付 け ら れ て 「 何 じ ゃ こ りゃー!」とか叫ぶことになるでしょう。

 

  こ の よ う な コ ミ ュケ ー シ ョ ン の 壁 の 話は ア ニ メ 『 灰 羽 連 盟』 や 村 上 春 樹 『 世 界 の 終 わ り と ハ ー ド ボ イ ル ド ・ ワ ン ダ ー ラ ン ド』にも出てきます。『世界の終わりとハードボイルド・ワン ダーランド』は僕は個人の意識と集合的意識が絡まり合った物 語だと考えていて、今のところ村上春樹の最高傑作だと見てい るのですが、『灰羽連盟』をこの小説と合わせて鑑賞すると充 分楽しめます。『灰羽連盟』は隠喩に満ちた物語で『世界の終 わりとハードボイルド・ワンダーランド』と共通のモチーフが 多数出てくるので、僕はアニメ版『世界の終わりとハードボイ ルド・ワンダーランド』ではないかと思ったのですが、原作者 が『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の影響 を 受 け て い る こ と を 言 明 し て い る そ う で す ね 。 当 た り 前 で し た。このアニメを見て『世界の終わりとハードボイルド・ワン ダーランド』をまた読みたくなってきたのですが、他に読むべ き本が研究室にも自宅にも山積みされているので、いつまた読 めるか分かりません。扱っているテーマは一緒ですが細かい部

 

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分ではいろいろ違いはありますしストーリーの方向性も異なり ますが、一緒に語るべきでしょうね。優れたファンタジーとい うのは現実逃避のための物語ではなく、現実の世界の事象をメ タファーしてハーモニーを奏でる詩的なものになっているもの で す 。 そ れ を 読 み 解 い て 自 分 の 中 に 再 構 成 す る の が フ ァ ン タ ジーの楽しみ方の一つだと思います。『灰羽連盟』、地味だと 思 う 方 も お ら れ る よ う で す が 、 『 攻 殻 機 動 隊 』 や 『 serial experiments lain 』並にお薦めです。元来イラストというの はディーテールでは実写の存在感にどう足掻いても勝てないの で 表 現 し た い こ と を抽 象 化 し て 創 る も ので す が 、 『 灰 羽 連 盟』 で は 絵 が 全 体 的 に 灰 色 に な っ て 彩 色 を 抑 え た の が よ い 表 現 に なっています。また、ストーリー上でも解決されないままの謎 が多いのも壁の存在と相まってよい感じです。それにしても話 師のお面がエヴァ零号機みたいなのは何とかならんのか。  「壁」は現実世界にもいろいろあって、分子レベルの壁は物 理化学の言葉で語られるので比較的理解が進んでいますが、細 胞レベルでも例えば発生の時に細胞がどうアイデンティティを 決 め て ど う 相 互 作 用し あ う か は い ろ い ろな 原 理 が あ り ま す し、 個体レベルでのアイデンティティやコミュニケーションの壁は もちろんのこと、僕が研究している種レベルの壁、さらにはだ んだん曖昧になってきますが群集や生態系、環境の壁などいろ いろあります。学際的研究の壁は無い方がいいような話でした が、僕は少なくとも種レベルの壁は、原核生物では DNA の相 同 組 換 え と ミ ス マ ッチ 修 復 の 競 合 で 決 まる 曖 昧 な も の で す が、 真核生物になると染色体再編や「第三の要素」など減数分裂や 性の様式に起因する明瞭な壁が存在し、これは真核生物や性の 本質と何らかの関係があるのではないかと思っています。壁とは言っても集団を分けるためにある意味必要な壁もあるかも知 れないのです。それを考えることで多様性の存在の偶然性と必 然性を考える手掛かりになると思っています。『灰羽連盟』で はラッカの真の名前とラッカの仕事との間に密接な関わりがあ り ま す が 、 例 え ば 鴻上 尚 史 の 戯 曲 『 天 使は 瞳 を 閉 じ て 』 で は、 「 僕 た ち は 天 使 に なる ん だ よ 」 と 自 分 から 言 い 出 し た 人 間 達が 壁を壊すことで破滅します。一口に「壁」とは言っても必要な も の か ら 本 当 に く だ ら な い も の ま で い ろ い ろ あ る と 思 う の で す。僕は種の「壁」を研究することから、「壁」の摂理を見出 していきたいと思っています。

 

 

 

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