神様はつらい

“Трудно быть богом”  (Hard to Be a God)と言う, Бра́тья Струга́цкие(ストルガツキー兄弟)による小説があります.邦訳は入手しにくいですが, Алексей Герман(アレクセイ・ゲルマン)監督による映画は『神々のたそがれ』と言う邦題で公開されました. http://www.ivc-tokyo.co.jp/kamigami/ その時の感想は以前tweetしました. https://twitter.com/Nakajima_Ki_43/status/585054748849541120

(2019.6.22.追記: Twitterは止めました. 代わりの感想をupしておきます.

もう昨日4/5になってしまいましたが、アレクセイ・ゲルマン監督の『神々のたそがれ』を観てきました。監督の遺作となったこの作品ですが、話の筋を全部はフォローし切れなくても、映像に釘付けになって3時間弱の間、凝視しっぱなしでした。 “Трудно быть богом”  (Hard to Be a God) という原題のこの作品は、もうすぐ公開される蟲師特別編『鈴の雫』と似たようなテーマではありますが、いろいろ対照的になっているのが面白かったです。この映画が上映されていた九条のシネ・ヌーヴォは、地下に降りて行って雰囲気のある空間で映画を観られるので快適でした。『キネマ旬報』は1960年代のものから置いてありますし、面白そうな映画の宣伝ばかりでした。もう終了していますが、阪急宝塚線売布神社駅前のシネ・ピピアでは4/3まで2014秀作映画特集として紙の月、『6才のボクが、大人になるまで。』、エレニの帰郷、罪の手ざわり、ワレサ連帯の男、スノーピアサー、ニシノユキヒコの恋と冒険、私の男、『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』、ソウォン/願い、ほとりの朔子、祖谷物語おくのひと、リアリティのダンス、NOノー、小野寺の弟・小野寺の姉太秦ライムライトなど面白そうな映画ばかりを上映していたそうです。

 

昨日紹介したゲルマン監督の遺作『神々のたそがれ』は未来人がルネサンスとは逆行した中世地球的世界での「神」としての暮しを描くSFで反知性主義スターリン主義に対する皮肉という根幹は分かり易いのですが、物語全体が分かりよいプレゼン形式になっている最近の映画とは異なり実際の会話調でその筋全てを一挙に把握するのがなかなか難しいこと、登場人物間で行き来する視点をカメラの視点に据えた作り、BGMを一切排した構成などに特徴があり、3時間弱の間をたっぷり楽しめます。筋が入り組んでいたのは原作小説『神様はつらい』からの抜粋であるためで、これは小説を読まなければと思いましたが、邦訳は古書でなかなか手に入り難いのがつらい所です。ロシアは小説も優れていますが映画もゲルマン監督やソクーロフ監督などを輩出して素晴らしいですね。こういう優れた映画を多く上映している九条のシネ・ヌーヴォは近くに昭和的雰囲気を能動的に醸し出した大衆酒場で¥390のお好み焼きも食べられますし、橋下さんの元で寒い状況にある大阪文化の砦としてこの冬の時代を乗り切って欲しいです。客層は高齢化しているようにも見えましたが、若い人も結構混じっていたのが心強い所です。子供は流石に少なかったですが少しは居ました。)

 

筋を一文で表すと, 未来の地球から他の惑星の中世的社会の人類に対して派遣された「歴史研究員」の一員である主人公ルマータがそこの社会では「ルマータを主役にしたてた変てこな劇」ともつかぬ, 神とも悪魔ともつかぬ待遇を受けるものの, 「一方では読み書きのできる者を殺し, 他方では教育しているというわけですな?」という行為の親玉である, ドン・レエバ主教なる奇怪な人物の前に遂に節制心を失い, ドン・レエバとその周囲の人物を皆殺しにしてしまう話です. 実際は地球人を宇宙人, 中世的社会の人類を現代の地球人に置き換えて読みますが, 何故そうなったかと言うと, こういう背景があります.

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初めにヘミングウェイの言葉

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が紹介されるのですが, 物語の類型としてはこの小説だけではなく, 例えばJ.R.R. Tolkien “The Lord of the Rings” の魔法使いであり, 人間ともホビットとも異なるIstariであるGandalfが映画とは異なり原作では魔法をほとんど使わないことなど, 別に珍しいことではありません. 周囲に与える様々な影響の大きさを考慮してとのことですが, 小説内でも

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という形でその詳細が具体的に現れます. その難しさについては,

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に描かれています. 自分の置かれる立場によって何が望ましい姿なのかは一概には言えないことは,

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に記述されています. 解説として纏めれば, 

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になります.

 

どこかのアニメでも神父などに対して抱いた自分の正義感自身が自分の立ち向かうべきものだったと言う似たような話がありましたが, こういうことは人間社会で昔から普遍的に見られる問題なので, 中々解決し難いものであり, それで物語のテーマとして度々取り上げられて来ました. だから一つの物語が発表されたからと言って, それで何か万事が解決する訳ではありません. ただ, こういった人文学的活動が社会思想に少しずつ変化をもたらしてきたことも疑いようのない事実です. 戯曲が災厄を引き起こすという設定のアニメもありましたが, 現実は戯曲が原因なのではなく, 何か根本的な問題がそれを批判する戯曲を産み出し, それが解決されない限りは戯曲が表象することと同じようなことが繰り返されるだけです. それに付随することがいろいろあるのはさておき, まず物語を読み, 問題点を整理し, それに対する具体的対応策を練り, 事を一歩一歩解決して行くことが大事になります.  戯曲というのはその物語そのものに登場する主観的立場から外にでて状況を客観視し, 整理する為にあります. ハッピーエンディングでない物語の効用がこういう所にもあるのは, 上記小説の抜粋中にもありました.

 

“Трудно быть богом” のテーマはそう簡単に解決されるものではないのは自明ですが, 小説や映画から何かを汲み取ってみるのもまた一興だと思います.