『君たちはどう生きるか』と『あなたの人生の物語』

宮崎駿監督のアニメ映画『君たちはどう生きるか』には,Denis Villeneuve監督の映画 “Arrival” (邦題:メッセージ)に出てくる宇宙船そっくりの物体が終盤に出てくる. “Arrival” はTed Chiangの小説 “Story of Your Life” (邦題:あなたの人生の物語) を原作としているが,この小説に見られた発想は宮崎アニメの作品に重要な影響を与えている.それは,“Story of Your Life” での宇宙人Heptapodが持つ,因果論的ではなく目的論的な時間認識の能力に関してだ.Heptapodは過去や未来がどうなっているかも予め認識し,その「目的」に合わせて行動する衝動を持つ.“Story of Your Life” の主人公の人類の女性言語学者はその能力に触れて夫と結婚し,娘を産み,夫と破局し,娘を事故で失うことまでを予め知ることになる.彼女はその運命を受け入れると共に,その過程の全てに注意を払ってどんな細かいことも見逃さないようにすることを決心する.そしてHeptapodたちは突然地球を去るが,彼らの来訪や退去の理由は明らかにはならない.

 

君たちはどう生きるか』では,「下の世界」の持つ特徴に上記の物語の設定との類似性が見られる.「下の世界」は元々宇宙からやって来た大きな建造物にその端を発し,様々な時間・空間での事象を結びつける扉がたくさんある.この建造物は時空間を超えた繋がりを生み出す仕掛けになっているらしい.これがHeptapodの能力を代替している.また,主人公の眞人とヒミの物語には “Story of Your Life” との類似性が見られる.ヒミは実は眞人の母親のヒサコの少女時代であることをヒミは前から知っていたようで(ばあやの回想にもヒサコが一時失踪していたことが出てくる),眞人を産むことも,自分が火事で亡くなることも予め知っていたようだ.それはおそらく「下の世界」の扉を通じて知ったことだろう.『君たちはどう生きるか』のラストでヒミは自分の来た時間に戻って行くが,それはこれから起こること全てを知った上で帰るのである.この後,ヒミが自分の死を回避すると,問題が起こる.それは妹のナツコが眞人の父親のショウイチと結婚出来なくなり,眞人の弟も生まれて来れなくなるからだ.これは産まれる前の魂であるわらわらたちをペリカンたちから守って助けていたヒミの信念に反することになる.そういう訳で,ヒミは全てを知った上で自分が早世する世界に帰って行くのである.眞人は終盤でそのことに気づき,戻ってからの家族と上手く暮らしていく為の糧を得る.これがHeptapod的な能力を持った時の,宮崎駿流の解の1つになる.

 

しかし,これで終わらないのは,こういう能力を持った上では何が演繹的に起こるかということだ. “Story of Your Life” は短編小説で,それについては何も記述はない.『君たちはどう生きるか』では,主人公の大伯父がおそらくこの建造物の特性を利用して世界のバランスを取ろうとしたことになっている.それは直接的には13個の悪意のない石を使うことにより,それが「下の世界」の均衡を保つことになっているが,影響はおそらく現実世界である「上の世界」にもある.また,「下の世界」には、「我ヲ學ブ者ハ死ス」と刻まれている謎の墓の門があり,眞人は物語の中盤ですんでのところでキリコに助けられてその場を難なく凌ぐが,下層部にあるそれはおそらくこの不思議な世界の根源にある「何か得体の知れない深淵」であるのだろう.産まれる前の魂を食べてしまう老人的なペリカンの大群が押し寄せて来るのも,「現代社会における」現実世界での少子高齢化の社会の有り様よりももっと根源的な生物の生老病死と進化に関わる何かとそれが関わりがあるからであろう.これはその後の産屋の禁忌の話とも関わる.そういう示唆を残したまま,この門についてはそれ以上詳しく語られることはない.

 

君たちはどう生きるか』と『あなたの人生の物語』にはそういう共通点と相違点がある.この他にも,ナツコに対する眞人の恋慕の情と嫌悪感が複雑に混じった感情(ナツコに対する眞人の態度が一定のものになっていないため)や,眞人が「下の世界」ではアオサギを「友達」とし,現実世界での友達との関係改善に努めるようになりそうなこと,眞人がショウイチによる不適切なファーストコンタクトのお陰で学校の生徒と上手く馴染めず喧嘩になったがプライドのためか喧嘩相手を庇うためかそのことを隠そうと自分の頭を石で殴って「転んだ」と嘘をつき,それで本来よりももっと大ごとになって大変になり,アオ詐欺を呼び込むと共に自分が悪意のある人間であることを終盤に自覚することになること,アオサギが眞人を試して結局は生前の母親に会わせてやったこと,ナツコがしばらく独りになりたくて建造物の中へ消えていったこと,殺生は現実世界での話で「下の世界」の住人はそれに関わることができない,つまり彼岸の世界であること,Twitterの住人とも言えるインコたち,つまり「下の世界」はバーチャルな世界でもあること,インコ大王は國村隼が声優をしていることからおそらくインコ目に近縁なハヤブサ目(ハヤブサ目とタカ目は近縁ではない)をイメージしていることなど,語るべきことはたくさんある.ラストがやけにあっさりしていたという見解もあるようだが,この物語は眞人が大伯父の跡を継いで世界の均衡を保つのではなく,自分の家族の下に帰るという選択をする話なので,あのラストは必然的である.アオサギがこの記憶はじきに忘れると指摘することも,これを反映している.形象されているものが暗示するもの,映像表現や作画・背景美術に込められている多文化性まで考え出したらキリがない.語るべきことは大いにある映画だろう.