『罪と罰』評

ドストエフスキー罪と罰』に関して簡単にまとめました.

 

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罪と罰』には「犯罪小説」「思想小説」「都市小説」などの側面がある.当時のロシアの現実に根ざしたリアリズム小説でありながらも現実を超える幻想性や形而上性,予言性もある現代小説になっている.深遠でありかつ軽妙でモダンであることがその魅力となっている.具体的にはラスコーリニコフという貧乏学生が自分を天才と信じて他のくだらない人間を殺すことも許されると思い込み,実際に強欲な金貸しの老婆を殺害するが,心清らかな娼婦のソーニャとの出会いもあって苦悩し,自首してシベリアへの懲役刑に服することまでの顛末が描かれている.これはモノローグ的でなくポリフォニー的な世界となっている.また,その卑俗性は現代日本にも通じる.下敷きとなった事件も実際にあり,心理的リアリティに富む描写や実際の気象状況,地理的スケールも加味されて作品の現実感を増している.犯罪小説なので予審判事のポルフィーリイも加えてミステリー的な要素もあり,サスペンスもある.「文学の都市」たるサンクトペテルブルクを舞台とすることを前面的にうちだした都市小説であり,悪夢と現実を変幻自在に交錯させた形而上的な都市の日常を描くことで神話性もある.思想小説としては思想信念ゆえに殺人を犯したラスコーリニコフが自らも滅ぼすことになり,そこに家計を支えるために娼婦となったソーニャの破滅も重なり,新約聖書的には新しいイェルサレムに入れない二人がキリスト教的にどう復活できる希望があるかが鍵となり,仮死と再生の物語となる.一線を「踏み越える」ことが敷居や階段の描写にも象徴される.極端から極端へと揺れ動くロシア人の精神の振幅を反映させながら,深遠と通俗,高邁さと安っぽさが同居し,破綻しかけてもギリギリのところで形を保ち,多層的で網目状構造の魅力的な型破りの世界観が示されている.