チェーホフ短編評

チェーホフの短編に関して簡単にまとめました.

 

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チェーホフの短編小説にはコミュニケーション不全の問題やアイロニー,不条理感覚が現れ,先行するリアリズム文学と対比される.「せつない」ではイオーナ・ポタポフという辻橇の御者が主人公で,息子の死から立ち直れず物思いに沈んでいるが,その悲しみを共有できる者はおらず,客とコミュニケーションをしようと試みるも無惨にあしらわれる.そして結局自分の駄馬に思いを語る.このような悲しみはロシア人特有の強烈な憂鬱,悲しみ,せつなさであり,何も手につかずに自殺の誘惑に駆られもする.そのある意味滑稽で不条理な結末は,イオーナの孤独とコミュニケーション不全を表す.「ワーニカ」では,笑いがせつなさといつも境を接していて,深みと複雑さがあることを示している.「ワーニカ」にはイワンという名前の人物を少し馬鹿にしたり見下したりするニュアンスもある.モスクワに見習い奉公に出されたワーニカ少年はひどい扱いを受け,おじいちゃんに助けを求める手紙を書く.ワーニカは地主屋敷のお嬢様に読み書き,百までの勘定,カドリールの踊り方までを指南されていたので,間違いだらけの奇怪な代物を書く.宛名もきちんとしたためられず,コミュニケーション不全が起こり,祈りは人には届かないが,夢の形で甘い慰めを受ける.「かわいい」では退職官吏のオーレンカが遊園地と劇場を経営するクーキンを好きになり,結婚するが,夫の考えがそのままオーレンカの考えのように思われる.クーキンが急死すると今度は材木商のプストワーロフを好きになり,結婚し,違う夫の考えがそのままオーレンカの考えのように思われる.最初は芝居のことばかり頭にあり,次は芝居への興味は跡形もなく消えてしまう.その後もこういうことは繰り返される.明らかに戯画的,風刺的な描写であるが,オーレンカは「聖女」なのか「おばか」なのかで議論を呼んだ.これは女性観に関する問題が提示され,解決はされていないことに原因がある.そういう不条理な物語を構成するはしりとしてチェーホフは位置付けられる.

 

 

 

『アンナ・カレーニナ』評

トルストイアンナ・カレーニナ』に関して簡単にまとめました.

 

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アンナ・カレーニナ』は「不倫小説」で,物語中では主人公のアンナが20歳年上の夫カレーニンとの結婚生活に飽き足らず近衛騎兵ウロンスキーと不倫の愛を愛でるが最後には鉄道自殺を遂げる.だが風俗的作品というよりは,宮廷詩人の時代からあった騎士の捧げるべき婚姻外の愛が基礎通念としてある.そういう意味で西欧文学の正道で,ペテルブルクの社交界から田舎の農作業に至るまでの社会小説的なリアルなディテール,性愛や家庭生活の意味,人間の生死に関する思索が伺える.人の人生そのものを描いたと言える.その壮大さから欧米では「ぶよぶよ,ぶかぶかのモンスター」と言われる.物語中でのアンナの成長とカレーニンの没落は対比され,エピグラフの「復讐するは我にあり.我これに報いん」からはアンナが神に罰せられる存在でありながらもそのドラマに作者自身が引き込まれていったことが伺える.要約を拒む緻密性も魅力である.清らかな愛に基づいた家庭生活を田舎の自然な環境で送ることを理想とする生真面目なレーヴィンはトルストイの代弁者であり,思想的にさまざまな視点と根源的な矛盾としての実社会的要素が用意されている.「肉」と「精神」との矛盾である.イギリスの政治思想家バーリン古代ギリシャのアルキコロスの「狐はたくさんのことを知っているが,ハリネズミはでかいことを1つだけ知っている」という言葉を出発点に,ハリネズミのように世界を1つの原理によって説明して自分の1つのヴィジョンの強力な枠組みの中に統合しようとするタイプの典型がドストエフスキーで,狐のように世界の多様性を受け入れ多彩な現実をその多様性において享受できるタイプの典型がモーツァルトプーシキンとしている.そしてトルストイは自分をハリネズミだと思いたがる狐だとしている.そういった複層的な魅力が表現されているのが『アンナ・カレーニナ』である.

 

 

 

『罪と罰』評

ドストエフスキー罪と罰』に関して簡単にまとめました.

 

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罪と罰』には「犯罪小説」「思想小説」「都市小説」などの側面がある.当時のロシアの現実に根ざしたリアリズム小説でありながらも現実を超える幻想性や形而上性,予言性もある現代小説になっている.深遠でありかつ軽妙でモダンであることがその魅力となっている.具体的にはラスコーリニコフという貧乏学生が自分を天才と信じて他のくだらない人間を殺すことも許されると思い込み,実際に強欲な金貸しの老婆を殺害するが,心清らかな娼婦のソーニャとの出会いもあって苦悩し,自首してシベリアへの懲役刑に服することまでの顛末が描かれている.これはモノローグ的でなくポリフォニー的な世界となっている.また,その卑俗性は現代日本にも通じる.下敷きとなった事件も実際にあり,心理的リアリティに富む描写や実際の気象状況,地理的スケールも加味されて作品の現実感を増している.犯罪小説なので予審判事のポルフィーリイも加えてミステリー的な要素もあり,サスペンスもある.「文学の都市」たるサンクトペテルブルクを舞台とすることを前面的にうちだした都市小説であり,悪夢と現実を変幻自在に交錯させた形而上的な都市の日常を描くことで神話性もある.思想小説としては思想信念ゆえに殺人を犯したラスコーリニコフが自らも滅ぼすことになり,そこに家計を支えるために娼婦となったソーニャの破滅も重なり,新約聖書的には新しいイェルサレムに入れない二人がキリスト教的にどう復活できる希望があるかが鍵となり,仮死と再生の物語となる.一線を「踏み越える」ことが敷居や階段の描写にも象徴される.極端から極端へと揺れ動くロシア人の精神の振幅を反映させながら,深遠と通俗,高邁さと安っぽさが同居し,破綻しかけてもギリギリのところで形を保ち,多層的で網目状構造の魅力的な型破りの世界観が示されている.

 

 

 

『スワンの恋』評

プルーストの『失われた時を求めて』第一篇『スワン家の方へ』第二部『スワンの恋』に関して簡単にまとめました.

 

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スワンの恋』では,スワンの恋の進展を通して社会と人間の在り方の深層が描かれている.それと同時に「芸術」のテーマの重要性も考察されている.『スワンの恋』は作家志望の「私」の精神的な遍歴を辿る大長編『失われた時を求めて』の一部で物語内物語として独立性を持ち,大長編自体の雛形となっている.冒頭では上品な社交界の一角で高級娼婦など裏社交界の人物も登場し,その滑稽でグロテスク,悲壮な実相が描かれる.スワンは社交界の花形だが,パリのサロンのピンキリを自ら体験し,力の差や馬鹿げた自恃,虚栄心に満ちた主催者とそれに嘘を含んでも追従する参加者たちが存在することを垣間見る.しかしスワンは裏社交界の人物,オデットに興味を持つ.スワンはオデットが「虚栄心に満ちた主催者とそれに嘘を含んでも追従する参加者たち」の関係の中にあり,スワンのようなエリートたる本当の芸術愛好家に対しては冷淡であることを認めながらも,次第に惹かれていく.スワンは並外れた女好きであり,征服欲があり,不誠実や嘘偽り,秘密につきまとわれながら,オデットという格下の女に屈辱を味わわされる.ヴァントゥイユ作曲のソナタに関する偶然やオデットの容姿がボッティチェリのある女性像に似ていることなどから,その恋は揺るぎないものとなるが,それは己が心中のイメージでオデットそのものではない.そのような虚栄心と想像力の入り混じった空虚さ,単なる自己愛の現れから恋は不在の相手を求める「病」のようなものとなる.なかなかオデットの「真実」に辿り着けないことがスワンの嫉妬心を生み,それが社交界全体の在り方にも通じるものとなる.スワンはオデットに対して優位にあった過去の自分にも嫉妬し,「人生を何年も台なしにしてしまった」とまで言わせしめる.ある極端な相の恋愛観だが,その一方で芸術が時を超えて人にはたらきかける力がヴァントゥイユ作曲のソナタを聴くことをシグナルとして現れ,虚無が真実でも崇高な囚われとともに無に帰することで死も克服できるという感慨がスワンには生まれる事になる.

 

 

 

『ゴリオ爺さん』評

バルザックゴリオ爺さん』に関して簡単にまとめました.

 

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バルザックは個人と環境,社会を結びつけて時代の全貌を表現するリアリズム小説の旗手で,「風景」や「描写」に関して文学的な意味のある技術を取り入れ,「小説」というジャンルの地位向上の立役者の一人である.その作品の中でも『ゴリオ爺さん』に登場する「父」は重層的で,その描写は革命以降のフランス社会や「19世紀の首都」としてのパリを具現化している.現実社会の注意深い観察と階層社会のリアリズムを,誇張を通した方向性のある緻密な描写で描くことを皮切りに,見知らぬ他人どうしが共存する猥雑な都市空間の縮図を下宿屋の上に描き,そこで勃発する意外な事件をミステリー風に描き出している.そして父性愛に満ちた自己献身的で倒錯的なゴリオ爺さん,娘を顧みない冷酷な父親であるヴィクトリーヌの父,血縁とは無関係の父親役をかってでて悪意と愛情に満ちた脱獄徒刑囚のヴォートランと,三者三様の父親像が描写される.ラスティニャック青年はこの間で翻弄され,父性のキリストであるゴリオ爺さんが娘への愛情のかけ方に失敗して臨終を迎えるのを目の当たりにし,フランス社会の「父性」の危機が具現化され,王政廃止が暗喩される.ラスティニャックが「父」を受けた「子」として,社交界に挑戦しようということでこの物語は幕を迎える.絶対的な価値が揺らぐ時代で自らの生きる道を切り開いていくことが求められていることが表されている.その詳細は他のバルザック『人間喜劇』の作品にも描かれ,作品どうしが有機的に相互作用している.

 

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今日は放送大学の成績発表がありました.基本的にはA+放送大学表記ではAをマルで囲む)のものが多く,「西洋芸術の歴史と理論」はA,「エネルギーと社会」「身近なネットワークサービス」はB,「コンピュータ通信概論」はCでした.BやCをとったのは初めてでしたが,今見返してもなんで誤答をしたのか分からないものが多く,同じ日に受験していたのでボケていたのかもしれません.「西洋芸術の歴史と理論」「エネルギーと社会」は専門とはかけ離れているのでまだよく理解していない部分もあったと思います.「身近なネットワークサービス」「コンピュータ通信概論」は,組込みシステムとネットワークとデータベースという情報技術者の三本の柱のうちで普段一番気にしていないネットワーク関連分野なので,よく分かっていないのだと思います.今回の成績は,もっと精進しないといけないことを示しています.

 

結局,全科履修生としても十分に卒業できるだけの単位数にはなりそうなので,来期からは3年次編入学で情報コースの全科履修生になることにしました.来期は卒業を視野に入れてオンライン授業が中心となり,その後はほとんど科目を取らないまま卒業までの時間が経つのを待つ予定です.面接授業の抽選結果が出たら,次にとる科目を述べます.

 

 

 

David Bowie

David Bowieの曲をアルバム56枚,739曲分流し込む作業をしている.スタジオレコーディングを一通り聴いたので,Nothing Has Changedを聴いて復習がてらクールダウンしているところだ.明日以降,ライブ盤やサントラ盤を聴くことになる.

 

私がDavid Bowieを認識し出したのは中学生の頃だ.ボーリング場に附属しているゲーセンの競馬ゲームでゲーム用のコインが持続的に儲かることがよく考えていれば出来ることに気付いたので,儲けの分のコインでジュークボックスのDavid Bowie and Mick Jagger “Dancing in the Street” をよく聞いていた.


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巫山戯て踊っている姿を見ていたその頃からBowieはヒーローだった.2016年に彼が亡くなった時,ベスト盤のNothing Has Changedと最後のアルバムの★を購入した.★は紛れもなく死を意識したBowieのファンへの最高の別れの作品だった. “Blackstar” はその冒涜的な部分も含めてBowieの作品の中で最も気に入っているものの1つだ.


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“Lazarus” には死に臨んだBowieの心境が綴られている.Nothing Has ChangedはBowieのキャリアをほぼ通して選曲された作品が詰まっている.選曲的に少しポップな形のものに傾いているキライがあるが,そこにはまだBowieを認識する前から子供心に刻まれてきた音楽のフレーズが満ちていた.調べてみるとBowieが関わっているとは知らずに自分の印象に残っている映画も多くあるようで,Bowieに興味が湧いてスタジオレコーディング全てと生前のライブ盤,それにサントラ盤を集めた.私が持っているレパートリーの中ではThe Beatlesの作品の次に充実しているので,キャリアの歴史を自分の頭の中で再構築することが出来る.

 

1stアルバムは1967年のDavid Bowieだが,まだ荒削りの部分はあるにせよ,彼の創造性は “Silly Boy Blue” や “Please Mr. Gravedigger” などに既に現れている.また,Deluxe Editionでは魅力的なVersion違いや未発表曲を通してBowieの音作りにおける創造性を体感することが出来る.これはDecca Records傘下のDeram Recordsから出されたが,鳴かず飛ばずだったのでBowieは解雇された.1970年になってBowieのSpace Oddity(正確にはこれもDavid Bowieというタイトルだが,混乱を避けるためにSpace Oddityという呼称をここでは使う)の成功を受けてDecca Recordsはコンパイル盤を出すが,この経緯がDecca Recordsのオーディションに落ち,EMIに拾われてブレイクしたのでDecca Recordsがオーディションでの録音をThe Silver Beatlesとして出してThe Beatlesのメンバーに怒られたThe Beatlesでの案件に似ている.

 

BowieはPhilips Recordsから1969年にSpace Oddityを出し, “Space Oddity” は後に実際の宇宙飛行士が宇宙ステーション内でカバーを披露するなど話題となった. “Memory of a Free Festival” は当時の若者文化をよく体現している.1970年にはMercury RecordsからThe Man Who Sold the Worldを出し,音楽の背景にあるコンセプトにおける創造性はこの頃に既に垣間見られる. “The Man Who Sold the World” はNirvanaもカバーした名曲だ.1971年にはHunky DoryをRCA Recordsから出し, “Changes”, “Life On Mars”, “Oh! You Pretty Things”, “Queen Bitch”, “Kooks”, “Andy Warhol”, “Quicksand” など名曲揃いだった.コンセプトの面からは次のアルバムには敵わないが,Bowieの個性が遺憾無く発揮されているという面ではThe BeatlesのRevolverにも匹敵するものだ.1972年にThe Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from MarsをRCAから出し,コンセプトの親しみやすさから一般受けはBowieのアルバムの中でおそらく最も高いものだと思われる.The BeatlesならSgt. Pepper’s Lonely Hearts Club BandやAbbey Roadに匹敵するといったところだ.精神病院に入れられた兄への思いも,引き続き語られている.1973年にRCAから出したAladdin Saneは本国のイギリスだけではなくアメリカ合衆国の文化も取り入れ,その印象的なメイクは大変有名だ.同じ年にはRCAからカバーアルバムであるPin Upsも出しているが,全てのカバーがBowie流に洗練されたものになっていて興味深い.1974年にはRCAからDiamond Dogsを出した.George Orwellの小説 “Nineteen Eighty-Four” のミュージカルを企画して頓挫した残骸から構成されたものだが,“Nineteen Eighty-Four” のディストピアを反映したものになっている. “Diamond Dogs”, “Rebel Rebel” などの名曲の他にも “1984”, “Big Brother”, “Chant of the Ever Circling Skeletal Family” などの曲が収められている.

 

1975年にRCAから出したYoung Americansでは,それまでのコンセプト形式から脱却してソウルフルな音作りになっている.John Lennonの名曲 “Across the Universe” のカバーではJohn Lennonと “…Nothing! …Nothing!” などとシャウトするのが胸熱だ.1976年にRCAから出したStation to Stationではファンクも取り入れ,the Thin White DukeとしてNietzscheやCrowley,その他の古典などの世界観を継承している.RCAから1977年に出したLow, “Heroes”, 1979年に出したLodgerはBerlin三部作と呼ばれ,instrumentalが多いが東ベルリン経由で東欧の重厚さの影響を受けた音作りが為されている.音楽的には普通はこれらが最高傑作とされている.1980年にRCAから出されたScary Monsters (and Super Creeps) は自身を道化にした “Ashes to Ashes” など,またコンセプトアルバムに逆戻りしている. “It’s No Game (Part 1)” ではクサイ日本語の台詞(わざとらしい)が入っているのは有名な話だ.Bonus Trackのカバー曲 “Alabama Song” はその不気味な世界観が良い.

 

EMIから1983年に出したLet’s Dance,1984年に出したTonight,1987年に出したNever Let Me Downはオルタナ三部作で,前二者は商業的には成功しているものの,Bowieの個性は大分弱まっているように感じられる.1989年にはEMIからTin Machine,1991年にはLondon RecordingsからTin Machine IIをTin Machineのメンバーとして出しているが,ここまで来るともう何がしたいか分からなくなり,音楽的にも商業的にも不調だった.

 

1993年Arista Recordsから出したBlack Tie White NoiseやThe Buddha of Suburbiaの頃になるとやっと自分を振り返ったBowieらしい音作りが取り戻せたようだった.そして1995年にはArista Recordsから1. Outsideが出た.商業的には不調で,五部作の計画は最初に頓挫したが,インダストリアルロックを取り入れたその音作りはこれをBowieの最高傑作とする向きもある.私もそうだと思う.映画の “Seven” を遥かに超えた荒廃した世界観がそこにはある.Arista Recordsから1997年に出したEart hl i ngもそれを継承した音作りになっている.

 

1999年にVirgin Recordsから出した ‘hours…’ はポップかつ前衛的な音作りになっている.2002年以降は自身のレーベルであるISOからアルバムを出すようになった.2002年のHeathenは ‘hours…’ を引き継ぎ,異教徒からの視点を取り入れている.9.11テロの前にそれを予感させるような世界観を作り,結果的にはテロ直後に発表することになった.2003年にはRealityでRockに回帰したが,そのツアー中に動脈瘤による心臓の痛みを訴えて療養生活に入り,その後長い間音楽活動を停止せざるを得なかった.

 

2013年にはThe Next Dayで音楽的にも商業的にも高評価を受けたカムバックを果たした.そして2016年に,冒頭で述べたように死を意識して★を完成させた.Bowieの死後には2021年に音源流出で頓挫していたToyという初期に作られたレアトラックの再録音からなるアルバムが発表された.

 

Bowieの曲を集める前に別経路でBartókなどのクラシックに親しんでいたので,Bowieの音作りは比較的理解しやすい.Bartókはイギリスに留学中にハウスメイトから「こんなのクラシックじゃないよ〜」と言われたが,古典的ではないにせよ広義のクラシックには十分に入る.今後はBowieも影響を受け,コード進行が面白いThe Velvet Undergroundや,John Lennonのソロ時代のアルバムを集めようと思う.私の師匠は「Yoko Onoはなかなかセンスがある」と言っていたが,最近Johnのベスト盤を聞き返してそのシンプルさの中に内在する力強さが分かるようになって来たのを確認したので,興味を持っている.これは確実にYoko Onoの影響だろう. “Love” は中学生の頃でもラジオから聞こえてきてそれがJohnの曲であることに驚愕した記憶があるほど印象的だったが,最近になってようやくモチベーションが熟成した.

 

 

 

【追記あり】Dionysus 2

パーシステントホモロジーの勉強の為,ラップトップでDionysus 2が動くようにした.

 

https://mrzv.org/software/dionysus2/index.html

 

パーシステンスの例として,ある整数係数上の1次元コサイクルを空間から円への写像に対応すると考え,パーシステントコサイクルの検出を試みた.Dionysus 2でのサンプルデータは以下の通りとなる.

 



 

細胞性粘菌三種の群集における私のPzDomモデル

 

https://browse.arxiv.org/abs/1603.00959

 

sが配置される空間と円との関係を計算すると,結果は勿論円にはならない.

しかし,分布は種ごとにある程度分かれる.このプロット上は左上が先駆種としての傾向を,右下が極相種としての傾向を示す.Polysphondylium属よりも多様性の高いDictyostelium属の方がトポロジーに応じてマーキングされた色がバラバラで,まとまりがないことを表している.

 

詳細は検討中だが,もっと勉強して深めて行くとともに,土壌動物群集のデータをたくさんとって19点しかない現行のデータよりも説得力を持たせるつもりだ.

 

【追記】細胞性粘菌の系のパーシステンス図もプロットしてみた.対角線上の細かく意味のない構造の他に,そこから隔った大きな構造が1つあることが示されている.