ロミオとジュリエット

シェイクスピアロミオとジュリエット』に関して短文4つを書きました.

 

ロミオとジュリエット』の喜劇性

シェイクスピアの喜劇『夏の夜の夢』ではアテネの職人たちが大公シーシュースの婚礼の余興に『ピラマスとシスビー』の悲劇を上演し,演技の素人で演劇に対して偏見を持っている彼らの芝居は悲恋物語をドタバタの喜劇にしてしまう.しかし,それが結局は婚礼に花を添える.この劇中劇としての喜劇は『夏の夜の夢』の恋人たちそのもののパロディであると同時に,『ロミオとジュリエット』のパロディともなっている.つまり,『ロミオとジュリエット』も喜劇として成立し得たので,ここにシェイクスピアの複眼的思考と焦点を2つ持つ楕円の精神を見ることが出来る.『夏の夜の夢』もまた悲劇になり得た喜劇となる.

 

ロミオとジュリエット』の台詞回し

ロミオとジュリエット』はシェイクスピア劇の中でも卑猥な表現が最も多い作品だが,悲劇である.主人公のロミオとジュリエットの台詞は詩的表現に富み,定型詩形式のものもある.一方,ロミオの友人マーキュウシオやジュリエットの乳母が猥雑な表現の台詞を述べる.これら2つの世界は相互作用し,ぺトラルカの純愛の世界を否定して恋愛をより身体の方へと引き付けている.ロミオのロザラインへの恋はペトラルカ詩のように現れるが,ジュリエットへの恋はより不純なものへと脱皮している.

 

男性や女性の妄想世界としての『ロミオとジュリエット

この作品を男性の妄想の世界とすると,周囲の不寛容な無理解を押し退けて同性愛と異性愛の三角関係を両方含んだ異種混淆性やハイブリッド性を持つ自分の恋愛に徹しようという欲望が見られ,それが破滅的結末になる.女性の妄想の世界とすると,ジュリエットが早とちりして死んだロミオを行為としては暖かく?迎えてやることになり,男性の一方的な破滅的結末を何とか解消してやろうとしている.

 

ローレンス修道士の評価

ローレンス修道士は善意の人とも,悲劇の張本人とも言える干渉者としても解釈出来る.前者はヘイト集団の行為を和らげること,後者は配慮の足りない自分の行いで若者の独立性を脅かしていることから類推される.

 

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今日の『西洋芸術の歴史と理論』では,プラトン美学に関して高橋睦郎さんへのインタビューがあった.高橋さんは頭の切れるお方で,ムーディーなものとしての詩的なものは詩とは対極にあり,詩は正確無比で無ければならないなど,ミーメーシスなどに関する名言が多かった.