言葉の使い方

分子生物学の実験では数十年以上前から特殊な実験以外はdisposableなプラスチックウェアを使い,サンプルに接触する物は基本的に使い捨て,PCRはその最たる物です.以前の検査の検体の環境中の残渣によるキャリーオーバーは,伝説としてはありますが,practicalなlevelでは聞いたことがありません.それを知らずに実践的な経験もなく,ネットなどの情報だけでどうこう言われても困ります.また,テレビインタビューの内容を科学的根拠として引用文献に挙げられてもその真偽が判断出来ない為,困ります.

 

推論手法が相当に怪しい人たちばかりで,細かい話になるのですがこういうこともあります.先ず,検査結果が「陽性」だった,「陰性」だったというのは,それが感染症の場合なら直ちに「感染が確認された」「感染していなかった」ということを表さないのは当たり前の話です.別々の言葉が使われているのですから,当然違う概念です.こうこうこういう検査を適用した場合に,「検査結果」が「陽性」だった,「陰性」だったというだけの話ですね.「感染が確認された」「感染していなかった」と軽々しく言わずに別の言葉を使う意義がそこにはあります.

 

それを「偽陽性」「偽陰性」とするには,確実に感染していないのに「陽性」の結果が出た,確実に感染しているのに「陰性」の結果が出たという科学的根拠が無ければ定義出来ない,というのも当たり前の話です.PCRの場合,他の診断方法で感染・非感染の確実性を得ないと,「偽陽性」「偽陰性」の判断が出来ません.それは充分に情報を集めて確実な診断が出来る状況ならいいのですが,COVID-19の場合はまだ世に出て間もないので,それをある程度手軽に出来る方法がPCRその物しかなく,「偽陽性」「偽陰性」の判断が出来ません.別に陽性の検査結果の出た方が一時的に陰性になってまた陽性になったからといって,途中の陰性が必ずしも「偽陰性」だったとは判断出来ません.可能性はいろいろあります.無症状の方から陽性の検査結果が出たからと言って「偽陽性」と言えないのと同じですね.「偽陽性」「偽陰性」の判断が出来るという方は,感染・非感染の確実性がPCR以外の何で担保されているのを示す義務が科学的にはありますが,それが全く示されていません.症状からは確定した判断が依然として不可能な訳ですから.

 

科学的な議論というのは言葉に気を付けないといけないのは当たり前の話ですし,論理的に定義出来うるのかそうでないかという簡単な話なのに,何故ここまで不注意な話が横行して意識の共有が出来ないのかが謎です.