放送大学雑感7

今日で今期の放送大学の講義を全て受講し終えた.オンライン講義の方は大分前に全て活動を終えていたので,後は7月半ばからのテストに向けて過去問を解いた後にテキストを復習し,さらに自分の蔵書のうちで関連する文献を読み込むことになる.それには1ヶ月もかかったりはしないだろう.

 

京都大学の講義は専門的で面白いものが多いが,なにぶん大学自体がアメーバ的運動をしているところで統一的な思想の下にカリキュラムを組むという術が内在していないので,教育の結果はかなり歪な能力の持ち主になる.基本的なところはマスターしておきたいという欲求に応えるのはなかなか難しいので,そういう欲求を充足するためには放送大学の講義の方が適任だ.理系の専門分野では実験や実習が重要なのでそれを学ぶ目的には適していないが,基礎的な座学を学ぶには適しているところだ.

 

放送大学で学ぶのは取り敢えずこれで一区切りとして,そろそろ溜まっているプレプリント論文の抜本的な改稿作業に着手しないといけない.内容を分かりやすく懇切丁寧に解説するということを念頭に,一から書き直す予定である.内容を根本的に刷新しないと出版はなかなか難しいと認識している.

 

今日受講した『世界文学への招待』『文学批評への招待』『世界文学の古典を読む』のまとめとして,テクストと旅,人生観について以下のまとめを記しておきたい.野崎歓先生,阿部公彦先生,村松真理子先生のご意見が含まれている.

 

古代の旅はアイデンティティの探求,新天地の開拓などのためであり,中世の旅は自己実現や社会との関わりを探究するためである.そして現代の旅は閉塞した時代と偏狭な社会的拘束を逃れ,悠久の時間の中で忘我し,精神をあそばせることである.そこで永遠に触れることは自らを失うことでもあり,その「難破」が甘美となる.このような旅の内容が全て現代人の感じる社会への違和感につながり,文学に触れることで社会からの解放感が味わえる.旅では自らを普段とは異なる環境に置くことでその環境因子の変異の持つ意味や,元々の環境の立ち位置を考察することができる.そして新たな環境の方が現在より理想的なら移動し,そうでなければ帰還する.こういったプロセスの繰り返しで自己実現を達成し,社会的な貢献を試みる.そしてしばしば,旅により閉塞的な環境からの解放感を自己忘却により味わって明日への糧とする.