『黄金のろば』評

主人公のルキウスは金持ちの市民のお坊ちゃんで物語冒頭では世間知らずであった.それが手違いからロバに変身してしまったことでユーモラスな孤独感と不安感と共に浮世の有り様を風刺的に観察し,実際に体験もすることになる.まず魔術の秘密を知りたいという若者に有りがちな好奇心と自身の欲望がロバへの変身という失敗を生み出す.そして運命の女神はルキウスを虐げられた人々と同様の生活に誘う.言語を話せないロバになったということは意思疎通が初めからまともに試みられない虐げられた人々と同様の立場に貶められるということである.そうしてロバとしてのルキウスは様々な人々の生き様を目の当たりにすることになる.ロバとして人間よりもさらに一定の距離感が大衆から取られていることにより却って見やすくなるものもある.例えば盗賊たちに拉致された新婦の乙女カリテは老婆にアモルとプシュケの物語を聴かされることで慰められる.ルキウスは女神ウェヌスに嫉妬されて苦しめられるプシュケやそれがたとえになっているカリテにロバとなって苦しんでいる自身の境遇を重ねる.そしてプシュケにはアモルの加護があることがルキウスにも希望をもたらす.ルキウスは最終的には人間に戻り,自身の得た体験とその内省的思考から信仰心を得て強力なイシス神を崇めることになるが,その前兆がアモルとプシュケの物語となって既に語られている.変身はバフチンによれば「あらゆる秘密の部分まで観察し究明するには一層好都合なのである」ということだが,変身によりそれまでとは異なる自己に同一化して複層的な視点を持つことにより見えてくる不条理な真理もある.つまり全ての予兆はイシス神がルキウスを回心させるための導きだったのだとルキウスは思い込む.キリスト教化される前の古代ローマにはいろいろな宗教が溢れていたが,その一つが信者を得る過程がルキウスの非現実な体験として表現されている.